港湾貨物が行き交う「瀬戸内海」 知られざる伝統の物流ヒストリーをひも解く【連載】江戸モビリティーズのまなざし(3)
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北前船がモビリティ産業に残した遺産

海運に詳しい人なら、もうおわかりだろう。この海路が北前船のルートとなって民間に浸透し、米以外の物流を担っていくことになるのだ。
北前船とは、瀬戸内海~関門海峡~日本海各地~蝦夷(北海道)を股(また)に掛けた、各地の特産品を運ぶ廻船だ。北と西をつなぐ交易ルートであり、船の寄港地は荷物と船乗りたちであふれ、繁栄した。
寄港地を見ると、萩(山口)、美保関(島根)、敦賀・三国(福井)、輪島・七尾(石川)、新潟、酒田(山形)、土崎(秋田)、鯵ヶ沢(青森)など。これらの地を結ぶと、日本列島を縦断しており、いずれも物流によって大変なにぎわいを見せた。
もちろん瀬戸内海にも多くの寄港地があり、重要な役割を果たした。鞆の浦(とものうら)、御手洗(みたらい)などで、現在は広島県に属する。岩城(いわぎ)、鼻栗(はなぐり)、津和地(つわじ)といった現在の愛媛県の地もそうである。
鞆の浦以外は離島で、「沖乗り」という航路上にあった。沖乗りとは、本州沿岸の航路であった「地乗り」に対してそう呼ばれたもので、つまり「沖にある離島」をつないだコースである。
それまでの廻船は櫓(ろ)をこいでいたが、江戸時代に入ると木綿製の帆をはり、風を受けて進んだ。沖合を航行することが容易となり、その結果、次々と離島に拠点ができたわけである。
こうなると、もはや物流は年貢米だけではなくなった。本州各地から蝦夷地まで広範に及ぶ商品流通のうねりが起き、北前船は興隆をきわめ、明治時代まで存続していく。現代の物流に及ぼした影響も、決して小さくない。
北前船の寄港地だった地は、古い町並みをそのまま残していることも多い。それらを生かした街起こしが、今も積極的に行われている。瀬戸内海は、モビリティ産業にとって貴重な文化遺産を数多く残している。これらに注目し、参画する役割も担っているといえるだろう。
●参考文献
『瀬戸内諸島と海の道』山口徹編/『江戸時代の瀬戸内海交通』倉地克直著/ともに吉川弘文館