都営バスの渋谷営業所は、なぜ「都営住宅の敷地内」にあるのか?
公共交通拠点と公営住宅の同居

山手線の内回りで渋谷駅を出ると、左手に大きな都営バスの営業所が現れる。渋谷駅東口から明治通りを恵比寿方面に進んだ先に位置する都営バス渋谷自動車営業所(渋谷営業所)だ。都心の一等地にありながら広い車庫と整備スペースを備える数少ない拠点である。
さらに特徴的なのは、敷地内に都営住宅「渋谷東二丁目第2アパート」が併設されている点だ。公共交通拠点と公営住宅が同居する事例は都市計画上でも珍しい。なぜこうした配置が生まれたのか。本稿ではその背景と今後の可能性を探る。
住宅供給との連携

時は1923(大正12)年に遡る。9月1日、相模湾を震源とするマグニチュード7.9の関東大地震が発生した。鉄道や路面電車は甚大な被害を受けた。東京市電気局は都市交通の復興を急ぎ、米フォード社に乗合用自動車を発注した。
1924年1月18日、巣鴨~東京駅前と中渋谷~東京駅前の2系統で44両の運転を開始した。さらに同年3月16日には、20系統148kmの予定路線がすべて開業した。これが現在の都営バスの基礎となった。3月の1日平均乗客数は5万4000人に達し、都市生活に欠かせない交通機関となった。
渋谷営業所の起源は1928(昭和3)年5月1日である。桜田門出張所から移転し、渋谷出張所として開所した。渋谷という土地柄もあり、1942年2月には東京横浜電鉄(現在の東急の前身)から路線を譲り受けた。これが現在も渋谷営業所が担当する学03・学06・田87系統の基盤となった。戦後の1947年以降は東急との共同運行も増え、東京駅前から等々力、桜新町、幡ヶ谷へと山手線内と郊外を結ぶ長大路線を担った。渋谷の車庫は戦時から戦後にかけて輸送体制を支える基幹拠点となり、その後の高度経済成長期を迎える。
戦後80年となる2025年、当時を振り返ると状況の変化が鮮明に見える。1945年の国勢調査で日本の人口は約7214万人だったが、戦後の回復で1970年には1億人を突破した。住宅不足が深刻な課題となり、広大な敷地を持つバス車庫は
「共同住宅を建てる絶好の場所」
と見なされた。1960~1970年代は自動車が急増し、道路を使う路面電車が縮小を迫られた時代でもある。東京は地下鉄と路線バスを軸に都市交通を再編し、都電の撤去とともにバス需要が拡大した。住宅供給も急務であったため、東京都は交通局と住宅局の連携を強化し、バス車庫と都営住宅を並立させる施策を打ち出した。
渋谷東二丁目第2アパートは、その流れのなかで1969年に竣工した。同様の事例は渋谷に限らない。早稲田営業所には都営住宅が併設され、品川営業所には1966年に北品川アパートが建設された。さらに1968年には都営三田線・西台駅に隣接して西台アパートが建てられ、車両基地(志村車両検修場)の上にも住宅が整備された。1960年代後半、東京都は
「公共交通基地 + 都営住宅」
という土地活用モデルを確立し、高度経済成長の都市需要に応えたのである。