わずか14万人の地方自治体が「日本最大の海事都市」になった根本理由――愛媛県今治市を考える

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愛媛県今治市は人口約14万7000人の地方都市でありながら、日本の造船・海運産業の約30%を担う国内最大級の海事クラスターを形成している。造船所14社、関連企業160社が集積し、外航船1100隻の保有数は国内全体の約3割に達する。2005年の市町村合併による行政一体化と、産業・制度・教育・文化が一体化した高密度なエコシステムが、国際競争力の源泉となっている。今治は単なる工業都市を超え、地方創生の新モデルとして注目を集めている。

港町から躍進する産業拠点

今治市の位置(画像:写真AC)
今治市の位置(画像:写真AC)

 今治市は古代から海上交通の要衝として発展してきた。平安時代には伊予国の国府が置かれ、江戸時代には今治藩の城下町として栄えた。

 近代に入ると、繊維業と造船業を柱とする工業都市へと成長。今治タオルの名は全国に広がり、今治造船は国内最大規模を誇る造船企業へと成長した。

 1920(大正9)年、今治町と日吉村の合併により旧今治市が誕生。2005(平成17)年には周辺11町村と合併し、現在の今治市が発足。人口は18万人を超え、愛媛県で松山市に次ぐ規模となっている。

 しまなみ海道の開通により、広島県尾道市と直結。観光や物流の拠点としての存在感を増す一方で、島嶼部は過疎地域に指定され、地域振興や人材確保といった課題も抱えている。

 今治の造船業は、波止浜湾に立ち寄った潮待ち船の修理から始まった。天然の良港であり、海上交通の要衝であったことがその背景にある。やがて船舶修繕は地域産業として根付き、明治期から戦前にかけては木造帆船や漁船の建造が中心となった。

 戦後の経済復興と船舶の大型化にともない、鋼船の建造が主流となる。特に来島船渠(現・新来島どっく)は、建造費を月賦払いで受け取る仕組みを導入し、資金力のない船主にも建造を促した。この方式は他社にも波及し、シリーズ建造の拡大とともに今治の造船産業は大きく成長した。

 1970年代には今治造船が香川県丸亀市へ、新来島どっくは今治市大西町へ進出。地域外にも造船拠点を拡大した。一方で、オイルショック後の業界不況では波止浜造船の倒産など再編が進み、今治造船を中心としたグループ化が加速した。

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