なぜ横浜・野毛は「若者が殺到する街」になったのか? オシャレ再開発はもうウンザリ? 築古物件が育む600軒の多様性が生んだ「街の若返り」経済学とは

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横浜・野毛地区は約600軒の飲食店がひしめき、来街者の約32%が20代以下と若年層に支持されている。低家賃と駅近の利便性が、個人店や実験的店舗の参入を促進。再開発エリアと異なる多様性を背景に、若者の都市消費行動の変化を支える構造的な若返りを実現している。

戦後闇市が生んだ活気と文化

野毛エリア(画像:写真AC)
野毛エリア(画像:写真AC)

 野毛は、かつて武蔵国久良岐郡戸部村の一部で野毛浦と呼ばれていた。江戸末期に東海道と横浜港を結ぶ横浜道が開通し、野毛山の中腹に切通しが整備されたことで交通の要衝となった。明治期には桜木町駅が開業し、三菱重工業の造船所が立地。商業地としての基盤が形成された。

 戦後、中心市街地が進駐軍に接収されると、野毛は「日本人の街」として急速に発展した。闇市や屋台が並び、「野毛に来ればなんでも揃う」と評されるほどの賑わいを見せた。復員兵や工員が集まり、くじらカツを提供する「くじら横丁」も誕生。文化面では、美空ひばりがデビューした横浜国際劇場が象徴的存在だった。

 2004(平成16)年に

「東急東横線の桜木町駅が廃止」

され、一時は衰退したものの、空き店舗に若者や女性向けの飲食店が進出し、活気を取り戻した。

 現在、約600軒の飲食店が集まり、「野毛大道芸」や「ジャズde盆踊り」などのイベントも定着。戦後の歴史と多様な文化を背景に、若年層からの支持を得て再生した都市空間として注目されている。

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