淡路島と和歌山の「矢印エリア」に、なぜ橋を作らないのか?

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紀淡海峡に橋を架ける構想は1960年代から議論され、約11kmの海峡横断は世界最長級の吊り橋計画として注目された。しかし、技術的課題や財政事情、環境問題が重なり半世紀以上実現を見ないままだ。高度経済成長期のインフラ投資熱が冷めるなか、現代の技術と経済状況で再評価が求められている。

「経済圏一体化」の空虚な響き

 では、仮に巨額の公共投資を行ったとして、それに見合う経済効果は本当に存在するのか――。

 今回、当時の資料や報道を改めて確認した。しかし、紀淡海峡架橋による経済効果を具体的に試算した報告書や学術的分析は確認できなかった。語られているのは「大阪湾ベイエリアの活性化」「広域的な経済圏の形成」といった、あいまいな表現にとどまっている。1990年代前半、関西で構想機運が高まっていた時期には、

「紀淡海峡架橋によって大阪湾を環状に結ぶルートが完成する」

というフレーズが盛んに使われていた。例えば、『朝日新聞』(1996年2月11日朝刊)の記事「交流圏形成へ、架かるか紀淡海峡大橋 大阪湾ベイエリア開発」では、当時の関西経済連合会会長・川上哲郎氏が次のように述べている。

「紀淡海峡大橋が完成してベイエリアを循環する交通体系ができれば、情報通信ネットワークの幹線にもなる。先端技術を持った企業が徳島や和歌山にもたくさん産まれているので、それらも包み込んだ完結型の環状都市がつくれればいいと思います」

だが、この発言からも明らかなように、

・貨物流動
・人的移動の量
・そこから得られる経済効果の規模

については、まったく触れられていない。同じ海峡横断構想でも、国鉄時代から検討されていた海底トンネル案は、四国を横断し、豊予海峡を経て九州に至るという国家規模の幹線整備構想の一部だった。採算性には課題があったものの、位置づけは明確だった。

 それに対し、紀淡海峡架橋にはそうした政策的文脈がなかった。経済圏の一体化といった抽象的な表現ばかりが先行し、具体的な需要予測や整備効果の検討はともなっていなかった。

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