淡路島と和歌山の「矢印エリア」に、なぜ橋を作らないのか?
技術継承なき巨大架橋構想

ここまでは、過去の紀淡海峡架橋構想がいかにして夢物語に終わったか、その経緯を見てきた。では、仮に現在、かつての青函トンネルや瀬戸大橋級の公共投資が可能だとすれば、紀淡海峡に橋を架けることは技術的に実現できるのだろうか。
結論からいえば、実現可能性は肯定も否定もできない。なぜなら、紀淡海峡に橋やトンネルを建設することを前提とした地質調査、設計試案、技術報告書は、現在まで一切存在しない。本州四国連絡橋公団(本四公団)の解体により、関連技術の継承が途絶えたためである。新たな海峡横断プロジェクトを検討するうえでの技術的基盤そのものが失われている。
ただし、1996(平成8)年に建設省土木研究所の構造橋梁部長だった横山功一氏が発表した論文「海峡横断道路プロジェクトを支える橋梁技術の動向」(『土木学会論文集 No.546』)には、紀淡海峡を含む将来の海峡横断構想に対する技術的課題が示されている。具体的には、以下のような指摘がある。
・水深・潮流・地盤などは「本四架橋より厳しい」地点が多く、既存技術の延長では対応困難
・外洋に面しており、風浪・台風・地震に対する設計が極めて重要
・中央径間2000m超の吊橋では、自重の増加・ケーブル荷重の増加が大問題
・自重に対する車両荷重の比率が極端に下がる(=自重が支配的になる)
・フラッター(風による振動)対策が困難。流線型箱桁の改良などが必要
・地盤の未調査が多く、基礎形式を設計できる段階にすら至っていない
つまり、1996年時点においても、既存技術では紀淡海峡の横断は困難とされていた。まず地質や海象の調査から始め、設計形式をゼロから構築する必要があるという認識だった。
現在では、その技術を蓄積していた本四公団の建設部門は事実上消滅している。長大橋建設の技術やノウハウは、継承されていない。このため、仮に紀淡海峡架橋を再び検討するとしても、技術的知見の再構築から始めなければならない。すなわち、検討の出発点すら整っていないのが現状である。
参考までに、現在の世界最長の吊橋であるトルコのチャナッカレ1915橋(中央支間長2023m)は、韓国とトルコの合弁で建設されたが、それでも設計・施工には莫大な時間と資金がかかった。
紀淡海峡架橋は、これをさらに上回る規模になると想定される。したがって、現時点ではその実現可能性を論じる段階にすら至っていない。むしろ、実現性を調査するための組織立ち上げすら不可能な状況にある。