淡路島と和歌山の「矢印エリア」に、なぜ橋を作らないのか?
世界最長狙う吊り橋構想

『朝日新聞』1988(昭和63)年3月5日付朝刊に掲載された連載記事「青函トンネル・瀬戸大橋 列島連結」第6回では、計画の動向を次のように記している。
「淡路島と和歌山を結ぶ紀淡海峡トンネルと、愛媛・佐田岬と大分・佐賀関半島間をつなぐ豊予トンネルという2つの海底トンネル構想が、にわかにささやかれ出した。いずれも、全国新幹線鉄道整備法で基本計画路線とされた四国新幹線のルートにあり、鉄建公団などの手で基礎調査も続けられている。四国新幹線の実現の見通しが全く立っていない段階での、この奇妙な突出ぶり。「これだけの技術を眠らせる手はない」。“新しい仕事”を求める技術者集団、鉄建公団周辺からの声が、ことのほか、高くなっている」
当時の好景気もあって、大型プロジェクトが今後も次々と実現するという漠然とした期待があった。1988年の日米構造協議で政府は今後10年間に430兆円の公共投資を行うと表明し、この動きを後押しした。
この時期、「第一国土軸(太平洋ベルト地帯とその周辺)」に対して「第二国土軸」という言葉がよく使われた。第二国土軸の実現には大規模な交通インフラが不可欠とされたが、その具体的な範囲は明確でなかった。以下のふたつの意見が対立していた。
・東京から東北、北海道を経て主要都市を結ぶ軸
・東京から伊勢湾口、紀伊半島、四国、豊予海峡、九州へ至る軸
こうしたなか、紀淡海峡周辺でも動きが活発化した。1991(平成3)年11月には建設省が紀淡海峡を含む5海峡の調査を目的に「海峡横断道路プロジェクト技術調査委員会」を設置した。
それまでの調査は新幹線を前提とした海底トンネルの可否を調べるものであったが、新たに架橋の実現可能性調査が始まったことは大きな転換点となった。
さらに、『朝日新聞』1993年3月8日付朝刊は、「紀淡連絡道、架橋案が急浮上 近畿地建が8日に現地調査」と報じた。建設省近畿地方建設局が初めて現地調査を行うという内容だ。架橋が実現すれば、友ヶ島経由で陸地間最大距離4.7kmとなり、明石海峡大橋の約4kmを超え、世界最長の吊り橋となる見込みだった。この報道は期待感を高めるものだった。
同年7月、建設省は「第11次道路整備五カ年計画」で紀淡海峡大橋を含む大阪湾環状道路の具体化を明記。計画の熱気が一層高まった。