「魔が差した」 1000円の着服で退職金1200万円没収! 京都市バス運転手への厳罰主義は正当か? 人材不足の現場にさらなる懸念も

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京都市営バスのベテランドライバーが千円着服で懲戒免職、1200万円の退職金も全額不支給に。最高裁は市の裁量を支持したが、過重な処分は人材流出と制度の硬直化を招き、公共交通の持続性に影を落としている。

終身刑化する懲戒制度

路線バス(画像:写真AC)
路線バス(画像:写真AC)

 懲戒免職と退職金の全額不支給。この二重の重罰は、事実上、社会復帰を極めて困難にする。長年の功績や誠実な勤務態度をすべて帳消しにするその構造は、過ちに対する罰というよりも、人生に対する終身刑に近い。

 もちろん、公共交通という信頼性の要で、金銭の取り扱いに厳格であるべきことは当然だ。だが、制度が

「一度の過ち = 即退場」

となる硬直的な設計である限り、そこには過度な威嚇と萎縮が生まれる。

 米国では、教育や公務分野で広く導入されたゼロ・トレランス(ゼロ寛容)ポリシーが、むしろ現場の柔軟性を失わせ、機械的な排除を助長していると批判されている。

 規律を守るために制度があるのか。制度を守るために人を切り捨てるのか。この問いに、私たちは冷静に向き合う必要がある。

 この処分の厳しさは、他の類似事例と比較することで、さらに際立つ。

 例えば政治家や高級官僚による、より高額で意図的な不正行為。裏金問題、補助金の不正受給においてすら、温情的な措置が取られることは少なくない。また、民間企業においても、数百万円規模の横領でさえ、「諭旨退職 + 退職金減額」にとどまるケースはある。

 制度のなかにある裁量の幅は、結局のところ権力構造や世論圧力によって左右されているのではないか。「重い処分」ではなく、「恣意的な処分」になっていないか。市民感覚とのギャップも問われてしかるべきだ。

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