「魔が差した」 1000円の着服で退職金1200万円没収! 京都市バス運転手への厳罰主義は正当か? 人材不足の現場にさらなる懸念も
1000円が問う法の設計

「“事件”があったのは2022年2月。乗客が5人分の運賃1150円を支払った際、男性は硬貨150円を運賃箱に入れる一方で千円札をカバンに入れた。乗務が終わった後、運賃箱に入った硬貨や回数券などを精算したが、千円札は制服のポケットに入れた。1週間後、市がドライブレコーダーを確認して業務状況の点検をした際に着服が発覚した。男性は直前に新型コロナウイルスに感染して10日ほど出勤できず給料が少なかったことを一因に挙げ「千円では足しにならないが、魔が差してやってしまった」と説明した。これを受けて市が開いた懲戒委員会では「免職」が相当となった。「金額が少ないから処分を軽くすべきだ」と同情を寄せる声はなく、むしろ「公金の横領は市民からの信用を著しく失墜させる。マイナスの影響は多大だ」と厳しい意見が出たという。3月に懲戒免職となり、これに伴い約1211万円の退職手当も全額不支給となった。男性は、懲戒免職と全額不支給のいずれも不当だとして提訴した」(『47NEWS』2025年5月16付け)
本件で最高裁が審理したのは、千円の着服が懲戒免職と退職金全額不支給に値するかという問いではない。判断の軸となったのは、
「市の処分に合理性があったか」
である。判決文では、ドライバーが公金を着服したことを「重大な非違行為」と断じた上で、
「退職金を全額不支給とする市の判断は、裁量権の範囲を逸脱していない」
と結論づけた。つまり、制度は処分の重さそのものを直接問うことなく、自治体の裁量に正当性があるかどうかを審査する構造になっている。
この枠組みにおいて、処分の実質的妥当性――千円という金額、本人の反省、勤続実績――は、裁量のなかに押し込められてしまう。だが、それは本当に妥当なのか。制度の設計そのものに、今あらためて目を向けるべきではないか。