大阪名物お好み焼き、実は東京がルーツだった! 「デパート物産展」が地方に広めた意外な歴史、鉄道とトラックが運んだ昭和の味とは
現在盛んに行われている北海道物産展などのデパート物産展は、昭和初期に生まれた。都市間の食文化交流の場となったデパート物産展はなぜ昭和初期に始まったのか。その背景には、輸送手段の発達があった。
大阪に伝播した「お好み焼き店」

お好み焼きは明治30年代の東京において子ども向け屋台として生まれ、大正時代以降、大阪や広島などの各地に「一銭洋食」「洋食焼」「にくてん」と名前を変え伝播していった(近代食文化研究会『お好み焼きの戦前史』)。
大人向けのお好み焼き店で最古の記録が残るのは、大正時代の東京・浅草にあった「橘屋」だ。その後、お好み焼き店は東京中に広まっていった。大阪に大人向けのお好み焼きが伝わったのは、1937(昭和12)年のこと。大阪で最初に開店したのは「以登屋(いとや)」だった。
では、なぜ以登屋は1937年に開店したのか。そこには、ある出来事が関係していた。
同年4月25日から27日にかけて、大阪・松坂屋で「東海道うまいもの会」が開催された。東海道各地の名物を集めた、いわゆるデパートの物産展だった。京都からは「いづう」の鯖寿司や虎屋の菓子、名古屋からは八丁味噌、きしめん、ういろう。横浜からは焼売。そして東京からは名物のお好み焼きが出品されていた。