大阪名物お好み焼き、実は東京がルーツだった! 「デパート物産展」が地方に広めた意外な歴史、鉄道とトラックが運んだ昭和の味とは
現在盛んに行われている北海道物産展などのデパート物産展は、昭和初期に生まれた。都市間の食文化交流の場となったデパート物産展はなぜ昭和初期に始まったのか。その背景には、輸送手段の発達があった。
俳優来訪が火付け役

その物産展に、当時人気絶頂だった二枚目俳優・林長二郎(後の長谷川一夫)が突然現れた。会場は一気に混乱状態となった。雑誌『食通』昭和12年5月号の記事「東海道うまいもの會」は、当時の様子をこう記している。
「ワーと云ふ物凄い歡聲(かんせい)、何事ならんと馳け付けると、林長二郎君が颯爽とやつて來る」
林長二郎は、東京代表として出店していた「ふじや」に立ち寄り、そこでお好み焼きを食べた。それ以来、彼はお好み焼きのファンになったという。
「大阪では長二郎もファンになりました」
この物産展と人気俳優の登場がきっかけとなり、お好み焼きは注目を集めた。以登屋を皮切りに、大阪ではお好み焼き店が次々と開店していく。
「この頃盛になったものに、お好み焼が、あります。大阪が一番盛なようです」
俳優・古川緑波の1940(昭和15)年のエッセイによれば、発祥地である東京よりも大阪のほうが盛んになる程の、お好み焼きブームとなったそうだ(『ロッパ食談完全版』)。