電動キックボードは「恥」だが役に立つ
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筆者への反対意見

こうした筆者の見解には、強い反対意見も存在する。次にその主な意見を挙げてみよう。
まずひとつめは「高齢者や子どもが危ない」という意見だ。狭い歩道を高速で移動するキックボードが近づく恐怖感は、もはや「公共の敵」とまでいわれることがある。次に「モラルの崩壊」という懸念がある。電動キックボードは社会全体のルール順守意識に影響を与えているのではないかという指摘だ。「事故が起きてからでは遅い」という警告もある。実際に歩行者との接触事故が発生しており、今後もっと深刻な事故が起こる可能性が高いと考えられている。四つめは「既存の交通手段で十分」という意見だ。タクシーや自転車、徒歩で十分に事足りるのに、なぜ新たなリスクを導入する必要があるのかという疑問が投げかけられている。
これらの反論には確かに理があり、筆者自身も現在ではもう少し規制を強化すべきではないかという思いに傾きつつある。特に都市部の高密度エリアにおいては、条例による乗り入れ制限も検討すべきだろう。
電動キックボードに全面的に賛成なのかと問われれば、答えは「否」である。しかし、全面的に否定するわけでもない。電動キックボードという存在は、あまりにも多くの曖昧さを抱えたまま都市に登場した。その曖昧さが、恥ずかしさを生み、無法を助長し、改革を促している。
とはいえ、恥ずかしさこそが変化の始まりではないかとも思う。誰かに見られると気まずくて、自信を持って乗れないという感情が、実は利用者に無言のブレーキをかけている。人は恥を感じることで自らの行動を見直すからだ。例えば、自転車も初期には
「ママチャリ = ダサい」
という印象が強かった。しかし今では、電動アシスト付き自転車やスポーツバイクとして洗練され、広く受け入れられるようになった。キックボードもいずれ、洗練された社会的受容の形に進化するかもしれない。
本来であれば、こうした新しいモビリティを導入する際には、利用者教育と規制整備がセットであるべきだった。だが、残念ながらそのバランスは失われ、
・カネ
・政治
・ロビー活動
が先行してしまった。今こそ問われるべきなのは、自由と安全の両立である。
電動キックボードは恥ずかしいかもしれない。だが、役には立つ。その両義性を認識したとき、私たちはようやく未来の足元を見つめ直すことができるのではないか。