追悼いしだあゆみ 77年の名曲「私自身」はなぜ現代人に刺さるのか? 「東京湾の船の灯が…」孤独、虚無感…シティポップ再評価で考える
いしだあゆみの名曲「私自身」が時代を超えて共感を呼ぶ理由を探る。1977年、都市の変化を背景に描かれた孤独と選択の自由は、現代の都市生活者にも深く響く。シティポップの名曲として再評価され、今なお多くの人々の心に残るその魅力とは?
都市の変貌と名曲の共鳴

2025年3月11日、歌手・俳優のいしだあゆみさんが逝去した。享年76歳。昭和から平成、令和へと移り変わる時代のなかで、多くの人々の心に刻まれた彼女の歌声。
そのなかでも、1977(昭和52)年に発表された「私自身」(アルバム『アワー・コネクション』収録)は、今なお色あせることのない輝きを放っている。なぜ、この曲は時代を超えて響き続けるのか。その理由を、発表当時の社会背景とともに考察していく。
1977年の日本は、高度経済成長の熱気が冷め、新たな時代へと移行する過渡期にあった。前年の1976年にはロッキード事件が発覚し、政治の腐敗が白日の下に晒された。一方で、成田空港の開港を巡る反対運動が激化し、都市開発の影で社会的な対立が浮き彫りになっていた。
経済的には、戦後の「集団就職」によって東京に集まった地方出身者が、都市での生活に慣れ始め、個人のライフスタイルを模索し始めた時期でもある。1970年代後半には、郊外型のニュータウン開発が進み、都市の中心部から離れた場所で新たな生活が始まる一方で、都心に残る人々の間では、「ひとり暮らし」というライフスタイルが定着し始めていた。
こうした社会の変化のなかで、「私自身」に描かれる情景は、当時の都市に生きる女性たちの心情を鮮やかに映し出していた。