駅前再開発で消える「札幌の記憶」――文学が記録した風景はなぜ貴重なのか? 新幹線と都市再編の光と影とは【連載】移動と文化の交差点(11)
札幌の急成長とともに変わりゆく街並みは、文学作品に色濃く刻まれている。都市の発展により失われた風景をデジタル技術で再現し、観光資源として再生する試みが注目されている。過去と未来を繋ぐこのアプローチは、次世代への新たな価値を創出する可能性を秘めている。
文学の中の札幌

2002(平成14)年に書かれた大崎善生の『アジアンタム・ブルー』に次のような一節がある。
「中学1年の春、1971年の札幌は間もなく開催される冬季オリンピックの準備と興奮に湧きたっていた。北国の地方都市が国際的な都会へ変貌していく、その大きな転換点に立ち、町全体が活気に溢れ、ある意味では浮き足立っていた」
また、1976(昭和51)年に外岡秀俊は『北帰行』のなかで以下のように書いている。啄木の歌集を手に、その北帰行をなぞるように旅をする青年を描いた作品だ。
「オリンピックを境にして北都はすっかり貌を変えてしまい、萌葱色に塗られた市電がごとごとと走る雪深い街の風情は失われていたが、そのすっきりとした線と面とで構成された幾何学的な美しさは少しも損なわれていなかったというより、強烈な個性や嗜好の偏りを持たない無性格な都市として、あらゆる色に親しみながら決して染まることはないという透明さを今も保ち続けているというべきだろうか」
渡部淳一の『リラ冷えの街』も札幌が舞台だが、こちらは1971年の作品だ。このタイトルにあるリラとはライラックの別名で、初夏の札幌を代表する花である。札幌はその季節、急に気温が下がることがあり、この作品が「リラ冷え」という言葉を生んだ。作中には市電が描かれている。
「札幌の駅前通りを南へ下ると歩いて十分そこそこで、薄野の交差点にぶつかる。ここで電車は左右に折れ、一方は豊平へ、一方は山鼻に向う」
もちろん、札幌を舞台にした文学作品は枚挙に暇がないが、札幌オリンピック前後の都心部の情景を描いたものをいくつか挙げてみた。やがて、市電は大部分が姿を消し、市営地下鉄に替わっていった。