「階段では手すりを持って」担当者が社員を監視、ある自動車メーカーが“過保護すぎる規則”を設けるワケ
小さな事故への対応が重大事故の防止につながる

当たり前だが、労災が多いと企業の評判は落ちる。事故などの危険が多い職場は、働き手の確保も難しくなる。また労災による治療費の負担や賠償など、企業への負担も大きい。
そのため、企業は労災をなくそうと必死になる。自動車業界をはじめ、製造現場では「ゼロ災でいこう」つまり労災をゼロにしようと言われる。つまり、階段で転ぶとかカッターで手を切るようなものでも、再発防止のための対策が取られるようになるのである。
また製造業の現場では「ハインリッヒの法則」という考え方もよく使われる。
1件の重大な事故が起こるとき、それまでに29件の小さな事故があり、300件の事故に至らないまでも、ちょっとヒヤッとした出来事があるというのである。
そして1件の重大な事故を防止するためには、29件の小さな事故からなくす。そのためには300件のヒヤッとした出来事にきちんと対策をとるという考え方だ。
階段に例えるならば、転落して死亡するケースは1件でも、転んですねを打ったりねんざするような事故が29件あり、転倒しなくてもよろめいたり、つまづいたりするケースが300件ある。
つまり死亡事故を起こさないようにするためには、そもそも階段でよろめいたり、つまづいたりするケースをなくさなければならないのだ。階段で転んだとかカッターで手を切るような小さなケガでも、きちんと対策を行い原因を取り除くことが、重大な事故の防止につながる。
こうして冒頭のような「階段では手すりを持つ」というルールが作られるのだ。
正解の見えない安全と過保護の対立

このような理由から、企業は小さな事故やケガにも真剣に対応せざるを得ない。だがしかしその結果として“過保護”なルールを課している。
現場のジレンマは社員の声から聞かれるような不便さや社員のモチベーション低下だけにはとどまらない。いちいち再発防止のための会議や、情報共有のミーティング、社内教育が行われ、それに伴うコストも発生する。
単純な計算だが、時給1000円で働くスタッフを1000人、教育のために30分拘束すれば、そのコストは50万円になる。自動車メーカーのような巨大な企業であれば、こんな軽い数字で済むわけもない。
人は小さなミスを完全になくすことはできない。全てを完璧に対策するのは不可能で、やればやるほど管理のためのコストもかさんでいく。
労災防止のための取り組みと、それに足下を取られて動きにくくなる現場。折り合いがつく日は来るのだろうか。