「義経と弁慶がやられたっ」 北海道の鉄道史に残る“機関車騒動” 大雪被害の結末とは

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北の大地・北海道の鉄道史は、雪との戦いの歴史でもある。記録的な大雪に見舞われた2022年、あらためて思い起こしたい明治期の逸話を紹介する。

2022年、記録的大雪と交通の混乱

北海道内を走る雪中の列車(画像:写真AC)
北海道内を走る雪中の列車(画像:写真AC)

 今冬、北海道は記録的な大雪に見舞われた。

 JR北海道が札幌駅を発着する列車が1週間近くにわたり全面運休・大幅減便にするなど、交通網をめぐってさまざまな混乱も生じた。

 北国の交通の歴史は、常に雪との戦いとともにある。それは、日本に初めて鉄道が敷かれた明治の頃から変わらない。北海道には、100年以上前のこんな逸話が遺されている。

「静」が「義経」と「弁慶」を救った?

「静」が「義経」と「弁慶」を救った――。

 何の話? と思うだろうが、これは明治初期に北海道で起こった機関車の話だ。そう、機関車にこんな名前を付けたものだから、訳が分からなくなってしまった、ということなのだ。

 わが国に鉄道がお目見えしたのは東京・新橋―横浜間が最初。その後、大阪―神戸に次いで1880(明治13)年1月に着工したのが、北海道の手宮(小樽)―札幌―幌内間だった。

 開拓から間もない北海道の地に、なぜ早々と鉄道が敷かれたのかというと、人を運ぶためではなく、石炭を運ぶのが目的だった。

 内陸の空知地方の幌内(三笠市)で石炭が発見され、採掘された石炭をどのようにして輸送するかが論議になり、幌内から札幌を経由して小樽まで運び、ここから船で本州へ、という方針に決まったのだった。

 この鉄道は幌内鉄道と呼ばれ、工事はアメリカ人技師・クロフォードの指揮により急ピッチで行われた。手宮―札幌間の開通までわずか1年足らずだった。