「義経と弁慶がやられたっ」 北海道の鉄道史に残る“機関車騒動” 大雪被害の結末とは

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北の大地・北海道の鉄道史は、雪との戦いの歴史でもある。記録的な大雪に見舞われた2022年、あらためて思い起こしたい明治期の逸話を紹介する。

突貫工事で90km超の鉄路が完成

北海道内を走る雪中の列車(画像:写真AC)
北海道内を走る雪中の列車(画像:写真AC)

 道路予定地として整備した土地を活用したとはいえ、あまりにも早過ぎる完成だ。道路用に作った路盤を用いて、そこへただ枕木を並べ、鉄路を敷いていくだけというものだった。

 札幌―幌内間が開通したのは2年後。ここに総延長91.2kmの大動脈が貫通したのだった。

 アメリカから導入された機関車の第1号は「義経」号と名付けられ、カラン、カランと鐘を鳴らして走った。札幌の町中に入ると放牧中の牛や馬がいるので、驚かないようにという配慮によるものだった。

 この後、同様にアリメカから第2号の「弁慶」号、続いて「比羅夫」号、「光圀」号、「信広」号、そして1885(明治18)年5月に「静」号(正式名称は「しずか」)が加わって体制が整う。

 ちなみに機関車の名前になった比羅夫とは、蝦夷征伐者として北海道史に残る阿部比羅夫のこと、光圀は天下漫遊の水戸黄門、信広は最初の蝦夷地統治者の蛎崎信広を指す。

 比羅夫と信広は理解できるとして、光圀は? と聞かれそうだが、これは光圀の水戸藩船「快風丸」が幕末期に蝦夷地石狩に回航していることによるものだ。

 当時の時刻表を見ると、手宮―札幌―幌内間が1日2往復で、手宮発は午前6時半と13時。幌内発は午前6時50分と11時5分。所要時間は4時間半余。さらに手宮―札幌間を1往復している。所要時間は2時間40分(現在は46分)も掛かっていた。

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