「義経と弁慶がやられたっ」 北海道の鉄道史に残る“機関車騒動” 大雪被害の結末とは

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北の大地・北海道の鉄道史は、雪との戦いの歴史でもある。記録的な大雪に見舞われた2022年、あらためて思い起こしたい明治期の逸話を紹介する。

大雪で“立ち往生” 鉄道部局は騒然

3月中旬撮影。札幌市内の家々は、まだ積雪の中(画像:合田一道)
3月中旬撮影。札幌市内の家々は、まだ積雪の中(画像:合田一道)

 乗車代金は、手宮―札幌間が上等80銭、普通60銭、札幌―幌内間が上等1円40銭、普通1円。コメ10kgが82銭の時代だから、べらぼうな高値と言える。よほどの金持ちでなければ乗れなかったと思われるが、珍しさから乗客は絶えなかったという。

 機関車騒動が起こったのは、「静」号がやってきたその年(明治18年)の冬。雪の日だった。

 手宮発札幌行きの機関車「義経」号が、海岸線沿いに走って張碓トンネルを抜けた直後、大雪のため身動きできず、立ち往生してしまったのだ。さぁ、大変。

 まず「弁慶」号が救援のために出動したが、積雪のためやはり動けなくなってしまった。

「義経と弁慶がやられたっ」

 開拓使の鉄道部局は騒然となった。「静を出動させろ」と話が決まり、手宮にいた「静」号が急ぎ現場に赴き、まず「義経」号を牽引(けんいん)して救い出し、続いてその先で往生している「弁慶」号を助け出したのだった。

 別説に、脱線したのが「静」号で、それを「義経」号と「弁慶」号が協力して助けたという話も伝わっている。

 それにしてもなぜ、機関車にこんな名前を付けたのか。

 実は北海道内には、蝦夷地と呼ばれた昔から義経伝説が語られている。

 奥州の平泉で死んだはずの義経が実は生きて蝦夷地へ逃れたという話が流布されていたのだ。そのため、北の大地を駆けめぐる機関車に英雄伝説からもじって名付けたということなのだろう。

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