文学散歩の魅力とは何か? 今でも読み継がれる岡山出身「内田百閒」の足跡を辿る【連載】移動と文化の交差点(9)
- キーワード :
- 鉄道, 旅行, コンテンツツーリズム, 移動と文化の交差点
内田百閒は、戦後の文学散歩の先駆者であり、『阿房列車』で無目的な鉄道旅を楽しんだ作家だ。彼は岡山を愛し、故郷の風景や記憶を大切にしていた。その足跡をたどることで、文学の魅力を再発見できる。文学散歩はコンテンツツーリズムの原点ともいえ、多くの人々が文学に興味を持つきっかけになることが期待される。
文学が描く「消えた街」

文学散歩をアカデミックなレベルに引き上げたのが前田愛の『都市空間の中の文学』(1982年)だ。この書籍では、文学作品をテキストとして都市空間を読み解くアプローチがとられている。一種の
「場所論」
といえる。場所論とは、特定の場所や地域が持つ意味や価値を探る学問分野で、地理学や社会学、文化人類学、文学などで用いられる。この分野では、場所の物理的特性だけでなく、歴史や文化、社会的背景、個人やコミュニティーの経験など、さまざまな要素を考慮する。
簡単にいえば、文学作品を通じて都市や地域を理解する作業だ。野田宇太郎の場合も同様で、文学作品には消えてしまった場所が多く描かれているため、かつての都市や地域の姿を確認するのに有効なテキストとなる。
前述のように、百閒は故郷である岡山を深く愛していたため、戦後は岡山に帰らなかった。この感覚は、地方出身の筆者にも理解できる。多くの変遷を経て、自分の故郷がいつの間にか
「他人のようなまち」
に感じることは、百閒の感覚と似ているかもしれない。