自動車整備士を「職人」と呼ぶのは時代遅れ?──「求人倍率5.5倍」でも人が来ない不人気業界、残る「言葉の問題」とは
静かに縮む整備産業

全国の自動車整備工場は約9.2万拠点、売上高は約5.9兆円、従業員数は約55.4万人にのぼる。実際に現場を支える整備要員は約40万人に達し、自動車保有台数が頭打ちになった今も、日常生活と物流を足元で支える基盤産業であり続けている(国土交通省「省力化投資促進プラン―自動車整備業―」)。
この整備網は地方の隅々まで張り巡らされている。公共交通が十分ではない地域にとって、移動の自由を担保するための不可欠な社会装置だ。
ところが、その維持は限界を迎えつつある。整備士の有効求人倍率は2024年度に「5.45倍」と全産業平均を大きく上回る。これは、
「求職者ひとりに対して5件以上の求人が存在する」
計算であり、業界全体で人手確保が著しく困難な状態にあることを示す。将来の担い手となる専門学校の入学者数も、この20年でおよそ半減した。現場の疲弊は市場の退出という形でも表れており、2024年度には休廃業・解散が382件、倒産を含めると
「計445件」
の事業者が姿を消した(帝国データバンク調査)。
これらの数字が示しているのは、市場から需要が消えたことによる自然な淘汰ではない。役割の重要性は変わらないまま、サービスを提供する供給側が立ち行かなくなるという、インフラとしての機能不全が始まっている。
整備拠点がひとつ消えることは、その地域における移動の総コスト増大に直結する。車両維持のために遠方の工場まで足を運ぶ時間や手間が増えれば、地域住民の利便性は損なわれ、生活の質は確実に低下していく。
とりわけ物流の現場においては、整備拠点の減少は車両の稼働率低下を招き、配送網の維持を困難にする。整備産業は、道路や橋梁と同じく社会を循環させるための基礎基盤だ。
工場の閉鎖は個々の経営判断の結果として処理されがちだが、その集積がもたらすのは地域全体の物流と移動の脆弱化である。日常の風景に溶け込んでいるために危機が表面化しにくいが、供給力の喪失は静かに、しかし決定的なダメージとして社会に蓄積されているのだ。
こうした状況の背景として、筆者(清原研哉、考察ライター)は整備士を「職人」と呼び続けてきた文化にも一因があるのではないかと考えている。