文学散歩の魅力とは何か? 今でも読み継がれる岡山出身「内田百閒」の足跡を辿る【連載】移動と文化の交差点(9)
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内田百閒は、戦後の文学散歩の先駆者であり、『阿房列車』で無目的な鉄道旅を楽しんだ作家だ。彼は岡山を愛し、故郷の風景や記憶を大切にしていた。その足跡をたどることで、文学の魅力を再発見できる。文学散歩はコンテンツツーリズムの原点ともいえ、多くの人々が文学に興味を持つきっかけになることが期待される。
記憶の「故郷」と戦争

内田百閒の戦後の代表作に紀行文シリーズ『阿房列車(あほうれっしゃ)』がある。『第一阿房列車』『第二阿房列車』『第三阿房列車』の3巻が刊行された(1950~1955年)。百閒は、現在でいうところの
「乗り鉄」
であり、同作は目的のない鉄道の旅を楽しむ内容だ。この意味では、先見の達人ともいえるだろう。幼い頃から乗り物が好きだった百閒は、家から旧西大寺駅(現在のJR東岡山駅)まで自転車で汽車を見に行ったという。「鹿児島阿房列車」(『第一阿房列車』収録)では、旧西大寺駅や、百閒のペンネームの由来となった百間川にかかる鉄橋についても触れられている。
また、「不知火阿房列車」(『第三阿房列車』収録)では、太平洋戦争前に恩師の葬儀で岡山に戻ったのが最後だったと記されている。鉄道の旅の途中で岡山駅に停車した際、彼は駅の外に出なかったようだ。岡山も戦禍に見舞われ、岡山城の天守閣も燃え落ちるほどの大規模な被害を受けた。そのため、彼は記憶のなかの「故郷」を大切にしたのだろう。
文学散歩を一般化させたのは、詩人、文芸評論家、文芸編集者として活躍した野田宇太郎の『新東京文学散歩』(1951年)だ。この書籍は当時のベストセラーとなった。近代文学の中心だった東京は戦争で焼け跡となり、彼はその失われた街のなかで
「文学者たちの幻影」
を追い求め、文学散歩を始めた。その後、この散歩の範囲は全国に広がっていった。日本では江戸時代から、戯作(げさく)や物語が旅人の関心を集めていたが、本格的に文学散歩ブームを起こしたのは野田だろう。