九州新幹線の功罪 巨大資本で失われた「鹿児島らしさ」は復活できるのか?
新幹線駅開業で鹿児島中央駅周辺は急激に発展し、旧市街地・天文館は衰退の危機が訪れる。その原因は何か。また打開策とは。
開業以降に流入した大型資本
ここまで見ると、新幹線駅開業で旧市街地が衰退した――という単純な構図に思えるが、実はそうではない。街が一変した原因は、新幹線駅開業を契機に、県外の大型資本が流れ込んできたことなのだ。
福岡市に本社を置くイオン九州は2006(平成18)年、鹿児島市への出展計画を発表した。そして翌2007年には、イオン鹿児島ショッピングセンター(現・イオンモール鹿児島)のオープンにこぎ着けた。
オープン当初の売り場面積は約4万3000平方メートル。当時、鹿児島市で最も売り場面積が大きかったのは、2004年の鹿児島中央駅開業時にオープンしたアミュプラザ鹿児島の約3万2000平方メートルだった。また、それ以前はデパートの山形屋が約3万平方メートル(総売り場面積)が最大だった。
ちなみに、鹿児島市に県外の大型資本がやってきたのは、1975(昭和50)年のダイエー鹿児島店(現・イオン鹿児島鴨池店)以来のこと。鹿児島市は60万人あまりの人口を誇る南九州の経済・商業・文化の中心地だったが、全国各地で加速度的に進んでいた大型商業施設の進出とは21世紀初頭までほぼ無縁であった。
2004年以降の数年間で、イオン鹿児島ショッピングセンターを始めシネコンなどが相次いで進出した。鹿児島中央駅周辺は開発が進む一方、旧市街地の天文館は再開発が遅れて、衰退の危機が訪れることになった。