九州新幹線の功罪 巨大資本で失われた「鹿児島らしさ」は復活できるのか?
九州新幹線開業の大きな影響
街の「中心軸」は、交通インフラの整備で移動する。
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中でも激変したのが九州の南端に位置する鹿児島県の鹿児島市だ。2004(平成16)年3月の九州新幹線・新八代~鹿児島中央(旧・西鹿児島)間の開通以降、鹿児島中央駅周辺は急激に発展した。
片や、これまでの街の中心地であった駅北東の天文館地区は勢いを失った。2024年に九州新幹線開業20周年を迎えるなか、今後、鹿児島の街にはどのような対策が求められているのか。
そもそも、西鹿児島駅から鹿児島中央駅への改称については、市民の間でも賛否が分かれていた。
街の中心的な駅であるとして賛成する人がいる一方、「西駅」として定着していた駅名をわざわざ変える必要があるのかと疑問を感じる人も多かった。また「中央」という言葉に、田舎くささを感じるという意見もあった(『南日本新聞』2002年9月8日付朝刊)。さらには、約7000万円の改称経費を募金で募ることについても疑問の声が上がった。
旧市街地の通行量は30%減
幸か不幸か、鹿児島中央駅は開業とともに新たな街の中心地になった。
2004年に鹿児島市が行った歩行者通行量調査では、2002年度に比べて、天文館を含む中央地区が30.5%減少。対して鹿児島中央駅周辺は36.1%増、隣接する西田地区も38%増という結果になっている(『南日本新聞』2005年4月6日付朝刊)。
2005年時点で、にぎわいの中心は明らかに移動していた。
その後、2011年3月の九州新幹線全通を経て、2014年には駅ビル・アミュプラザ鹿児島プレミアム館が開業。2020年10月には鹿児島中央タワーとの間にペデストリアンデッキも開通、「中央」の名にふさわしくなった。
対する天文館周辺は、「寂れてしまった」という市民の声ばかりが聞かれるエリアになってしまった。