営団地下鉄の民営化は、なぜ「幸福な民営化」と呼ばれたのか?【短期連載】東京メトロ、破られた沈黙(1)
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東京メトロの前身は、戦時中に設立された「帝都高速度交通営団」だ。1980年代に財政問題が深刻化する中、民営化が検討され、1990年代には特殊法人改革が進んでいた。しかし、長期債務や出資者の影響により、民営化の進展は鈍化していた。2001年に改革基本法が制定され、民営化への道が開かれると、利用者サービスの向上が大きな課題となった。特に「トイレットペーパーを常備する」という小さな改善が、大きな変化を象徴する事例となり、「幸福な民営化」と称賛される一方で、株式上場には至らなかった。
交通営団民営化の転機

民営化の課題を理解するためには、国鉄の分割民営化で誕生したJR東日本との比較が有効だ。JR東日本は1993(平成5)年10月に上場を果たしたが、この時点で国鉄から引き継いだ膨大な長期債務を抱えていた。それでも上場できたのは、運賃収入に加え、駅ビルの再開発など
「多角的で有望な経営方針」
があったからだ。
一方、交通営団の状況は異なっていた。膨大な路線網があり運賃収入は多かったが、JR東日本のような大規模な不動産開発の余地は少なく、経営の多角化が難しいと考えられていた。また、出資者である東京都が都営地下鉄との一元化を繰り返し要求していたため、経営の自由度に対する懸念もあった。
こうした理由で、民営化は先送りされていたが、2001年12月に小泉純一郎内閣が特殊法人改革基本法を閣議決定したことで状況が一変した。この法律は特殊法人や認可法人の改革を包括的に進めるもので、交通営団もその対象となった。そして2004年、民営化され、東京地下鉄に改組された。
では、なぜこのタイミングで交通営団の民営化が可能になったのか。そのカギは、地下鉄13号線(現在の副都心線)の建設計画にあった。2007年度に予定されていた同線の完成により、新規の大規模投資が一段落すると見込まれた。また、これにともなって長期債務の返済見通しも立ってきた。
民営化が決定したことで、交通営団は経営方針の大きな転換期を迎えた。利用者サービスの向上が最重要課題とされ、さまざまな改善策が検討された。その一環として、駅構内へのコンビニエンスストアの出店が進められた。