営団地下鉄の民営化は、なぜ「幸福な民営化」と呼ばれたのか?【短期連載】東京メトロ、破られた沈黙(1)

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東京メトロの前身は、戦時中に設立された「帝都高速度交通営団」だ。1980年代に財政問題が深刻化する中、民営化が検討され、1990年代には特殊法人改革が進んでいた。しかし、長期債務や出資者の影響により、民営化の進展は鈍化していた。2001年に改革基本法が制定され、民営化への道が開かれると、利用者サービスの向上が大きな課題となった。特に「トイレットペーパーを常備する」という小さな改善が、大きな変化を象徴する事例となり、「幸福な民営化」と称賛される一方で、株式上場には至らなかった。

特殊法人改革の流れ

帝都高速度交通営団のマーク
帝都高速度交通営団のマーク

 この特殊な企業の民営化が検討され始めたのは1980年代からだ。

 1980年代初頭、日本は深刻な財政問題に直面していた。1970年代に起きた二度の石油ショックは、高度経済成長期の終わりを告げ、日本経済に大きな打撃を与えた。政府の税収は伸び悩み、一方で社会保障費は増え続けていた。その結果、財政赤字が急速に拡大し、1975(昭和50)年度には特例公債(赤字国債)の発行が始まった。

 さらに、行政の肥大化や非効率性に対する批判も高まっていた。戦後の復興期から高度成長期にかけて、政府の役割は拡大し、多くの特殊法人が設立された。しかし、経済成長が鈍化するなかで、これらの組織の存在意義や効率性に疑問が持たれるようになった。

 こうした背景を受けて、1981年3月に鈴木善幸内閣は第二次臨時行政調査会(第2次臨調)を設置し、会長には経団連名誉会長の土光敏夫が就任した。

「増税なき財政再建」

をスローガンに、行政改革を進めることが目的だった。

 土光敏夫は、東芝の再建や経団連会長としての実績から強力なリーダーシップが期待されていた。彼のもとで臨調は、

・特殊法人の整理統合
・行政組織の簡素化
・許認可手続きの見直し
・公務員制度の改革

など、多岐にわたる課題に取り組んだ。

 こうした行政改革は世界的な潮流であり、1979年に誕生したイギリスのサッチャー政権による一連の改革は「サッチャリズム」として知られ、世界に大きな影響を与えた。また、1981年に就任した米国のレーガン大統領は「レーガノミクス」を展開し、西側諸国では政府の役割を縮小し、市場原理を重視する政策が強力に推進されていた。

 1983年に設置された臨時行政改革推進審議会(行革審)は、第2次臨調の後継機関として特殊法人の改革を特に重視した。国鉄だけでなく、日本航空やNHKの経営形態も検討課題となった。このなかで、交通営団も民営化を前提とした改革の対象とされた。

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