営団地下鉄の民営化は、なぜ「幸福な民営化」と呼ばれたのか?【短期連載】東京メトロ、破られた沈黙(1)

キーワード :
, , ,
東京メトロの前身は、戦時中に設立された「帝都高速度交通営団」だ。1980年代に財政問題が深刻化する中、民営化が検討され、1990年代には特殊法人改革が進んでいた。しかし、長期債務や出資者の影響により、民営化の進展は鈍化していた。2001年に改革基本法が制定され、民営化への道が開かれると、利用者サービスの向上が大きな課題となった。特に「トイレットペーパーを常備する」という小さな改善が、大きな変化を象徴する事例となり、「幸福な民営化」と称賛される一方で、株式上場には至らなかった。

「幸福な民営化」の実態

東京メトロ東西線(画像:写真AC)
東京メトロ東西線(画像:写真AC)

 しかし、最も象徴的な変化は意外にもささいなもので、

「全駅のトイレにトイレットペーパーを常備する」

取り組みだった。この一見小さな変更は、利用者の日常に直接影響を与える改善だった。まさに、民営化による「利用者第一」の姿勢を誰もが実感できる形で示したといえる。

 当時の『読売新聞』は、この民営化の成功を

「幸福な民営化」

と表現し、その理由を次のように記している。

「ハッピーな民営化を実現できる大きな理由は、不採算新線の建設を押しつける族議員のまとわりつきを、ほぼ避けられたためといえる。道路関係公団や旧国鉄と異なり、進めたくもない新線建設のための不要な出費に、そう悩まされずに済んできたのである。東京一極集中で利用者が増え続けたので、結果として、建設した新線が、需要を超える過剰投資に陥ることもなかった。民営化で経営のゆとりは広がるだろうが、公共交通機関である点に変わりはない。経営の余裕は、運賃割引や利用者サービスの向上など、公共交通機関としての責務を果たすことに充てることが求められる」(『読売新聞』2004年4月1日付朝刊)

 これほど絶賛されているにもかかわらず、株式上場による完全民営化がなぜ実現しなかったのか。次回、その理由について解説していく。

全てのコメントを見る