江戸時代に架けられた隅田川「江戸四橋」 その知られざる“豆知識”を披露しよう【連載】江戸モビリティーズのまなざし(19)
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江戸時代の都市における経済活動と移動(モビリティ)に焦点を当て、新しい視点からそのダイナミクスを考察する。
四橋が描く都市の成長史

これまで解説した四橋を架橋順に追っていくと、それはそのまま江戸発展の歴史となる。四橋は人・物のモビリティ(移動)と、都市の成長に欠かせなかったといえる。
だが、隅田川に架けられた最も古い橋は、実はさらに上流にある千住大橋である。千住大橋は徳川家康の江戸入府(1590〈天正18〉年)の4年後、1594〈文禄3〉)年に完成した。
この時代は、戦国の世がまだ続いていた。ときの天下人・豊臣秀吉は、奥州(東北)の大名たちが歯向かった際の備えとして、家康を江戸へ国替えした。そこで家康は、奥州(東北)に続く街道に位置する千住に、軍勢を移動させるのに不可欠な橋を架けたのである。
だが、江戸時代も文治政治期に入ると、もはや軍事目的は失われ、また、千住は町奉行が支配下に置いた「御府内」というエリアの外にあったため、厳密には江戸ではなかった。それゆえ、最も古い橋でありながら、「江戸四橋」に数えられることがなかったのである。
だが歴史上、意義のある橋だった。『大江戸 橋ものがたり』(石本馨、学研)は、松尾芭蕉が『奥の細道』へと旅立った際、門弟たちに見送られた地が千住大橋であること、徳川幕府最後の将軍・慶喜が、水戸に謹慎を言い渡されて渡ったのが、千住大橋だったことを記す。
ここでも、人間ドラマは展開されていたのである。
●参考文献
・江戸の橋 鈴木理生(三省堂)
・大江戸 橋ものがたり 石本馨(学研)
・隅田川の橋(墨田区立緑図書館編)