なぜ箱根に「関所」が作られたのか? 厳格な監視システムと、知られざる女性蔑視の矛盾に迫る【連載】江戸モビリティーズのまなざし(15)

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江戸時代の都市における経済活動と移動(モビリティ)に焦点を当て、新しい視点からそのダイナミクスを考察する。

国内有数の観光地にあった交通の要衝

『東海道五十三次十一 箱根』葛飾北斎画。かごに女性が乗っているのが見える(画像:国立国会図書館)
『東海道五十三次十一 箱根』葛飾北斎画。かごに女性が乗っているのが見える(画像:国立国会図書館)

 箱根は湯元・塔之沢・宮ノ下・強羅・小涌谷など「十七湯」の温泉、6~7月のアジサイと秋の紅葉、海外からも評価の高い彫刻の森美術館、そして正月の風物詩といえる箱根駅伝など、豊富な観光資源を持っている。

 神奈川県箱根町によると、2023年に訪れる観光客はコロナ前の9割まで回復し、年間約1800万人を見込んでいるという。国内屈指の観光地だけに、インバウンドの期待も高い。

 箱根関所も名所のひとつだ。

 箱根関所は1869(明治2)年に廃止されたが、1965(昭和40)年に御番所の一部を再建。1983年、関所の構造がわかる史料が発見されると、それをもとにさらに再建を拡張しようという機運が高まった。また、平成に入り関所の遺構が発掘されると、計画はさらに本格化した。

 2004(平成16)年に復元は完成し、歴史ファンのみならず、一般観光客にも人気のスポットとなった。

鎌倉初期にはあった箱根の関所

芦ノ湖を背景にした箱根関所全景
芦ノ湖を背景にした箱根関所全景

 ここに行くなら、なぜ、この地に関所が設けられ、どんな秘話があったかを知っておいて損はない。それを知れば江戸時代、箱根がモビリティーの極めて重要な地だったことへの理解につながる。

 相模国に関所が置かれたのは、平安時代の899(昌泰2)年だった。最初に設置されたのは「足柄の関」だった。盗賊団を取り締まるのが狙いで、足柄山の聖天堂(しょうてんどう)にあったという。

 次に正確な年代は不明だが、箱根に関所ができた。鎌倉幕府と朝廷が戦った承久の乱(1221年)の際、幕府は当初、足柄と箱根の固関(こげん)で京都からの軍勢を食い止めようと計画したと、『吾妻鏡』にある。

 固関とは、関所を警護すること。鎌倉時代初期には、箱根に関所があったとわかる。

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