京成・新京成「2025年合併」に隠された戦略とは? “ディズニー株”巡る外国人投資家とのバトル余波なのか
合併できなかった親会社の波乱の歴史
京成電鉄(千葉県市川市)は2023年10月31日、(発行済み)株式を全て保有して完全子会社した新京成電鉄(同県鎌ケ谷市)を2025年4月に吸収合併すると発表した。「京成」に“新”が冠された鉄道会社が別にあること自体珍しいが、両社はもっと昔に“合体”しても問題がなかったものの、さまざまな理由から順延されてきた。
もともと上場企業だった新京成は、約44.6%の株を京成が握る「持分法適用会社」(同20~50%を支配)で、京成の連結対象にある。旗揚げは太平洋戦争終結直後の1946(昭和21)年10月で1947年に路線営業を始める。営業路線はJR常磐線松戸駅~京成津田沼駅間約26.5kmで(全線開通は1955年)、ヘビのようにクネクネとしたルートが特徴的だ。大半が旧日本陸軍の鉄道連隊の演習用として引いた鉄路で、平和利用として払い下げられたものだ。
終戦直後のドタバタで黒字経営に自信がなかったのか、まずは別会社にして本体と切り離し、様子を見てから本体と“合体”、というシナリオを描いたようだ。その後京成は高度経済成長の波に乗り、不動産や百貨店、スーパー、ホテル、レジャーなど事業を急拡大させた。
ちなみにレジャー部門の超目玉が、三井不動産と共同で千葉県浦安町(現・浦安市)の広大な埋め立て地に、米国から巨大遊園地を招致する一大構想で、後の東京ディズニーリゾート(TDR)である。
新京成も好況と首都圏での人口増を背景に比較的順調だった。沿線は都心へのアクセスの至便さと、住宅価格の値ごろ感が支持されベッドタウン化が進み、運賃収入も着実に増えて行った。
急降下した京成の業績
だが1970年代に入り高度成長が終わりを告げると、京成の業績は急降下する。
旧・新東京国際空港(現・成田国際空港)の開港順延にともなう“ドル箱”と期待する成田~都心間の空港アクセス特急「スカイライナー」の開業棚上げも響き、倒産の危機に見舞われる。
これでは“合体”どころではなく、新規事業の大半を整理し、旧運輸省(現・国土交通省)や「人材バンク」と評される日本興業銀行(現・みずほ銀行)に支援を求め、社長を派遣してもらうまでして再起を図る。
何とか業績が安定飛行に入るのは1980年代末だが、2020年に入ると今度はコロナ禍が襲い、2020、21年度と最終赤字(連結)に泣いた。コロナ禍も収まり業績も回復し、「機は熟した」とばかりに、ようやく“合体”に踏み切ったようだ。
第1段階として2022年9月に、新京成の残りの全株式(約56%分)を買収して(京成株との株式交換)、完全子会社とする(自動的に上場廃止)。次に第2段階として、今回新京成を京成本体に吸収し、悲願の一体化を果たす。
合併の意義として京成は、
・千葉県北西部における事業基盤強化及び地域活性化
・経営資源の相互活用による競争力強化及び事業規模の拡大
・スケールメリットを活かした効果的な協働体制の実現
といったシナジー効果を発揮し、経営の効率化・意思決定の迅速化で、経営資源を最大限活用するために必要、と説く。