臨海地下鉄新線構想、そもそもなぜ晴海に「鉄道路線」が作られなかったのか? 何度も見放された不遇の歴史とは

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晴海エリアで課題となっているのが、公共交通網の整備である。なかでも2022年東京都が発表した「臨海地下鉄(仮称)」計画は地域の期待を集めている。

晴海の100年の期待

東京港史。東京都1962年(画像:昼間たかし)
東京港史。東京都1962年(画像:昼間たかし)

 その後も、晴海への鉄道計画は構想が報じられては具体性もないままに消えることを繰り返した。例えば、1980年代には、現在の大江戸線を晴海に延伸する計画が持ち上がっている。この計画は1986(昭和61)年10月に『読売新聞』が1面トップで報じている。

 記事によれば、路線は建設中の都営12号線(現大江戸線)を汐留から分岐、晴海を経由して13号地(現お台場)に至るとされている。これは、当時の開発構想でお台場は人口10万人、通勤者を含めると

「昼間人口30万人」

と試算されていたことをによるものだ(現在のお台場の人口は約5000人)。結局、この計画も立ち消えとなり、晴海に鉄道が来ることはなかった。

 こうして過去の歴史を振り返ると、東京都が進める地下鉄計画は、晴海にとっては100年待った待望の鉄道といえる。

 発表から1年あまり目立った動きもなかった地下鉄だが、ここに来て建設計画が加速する可能性もある。10月31日にNHKが報じた、築地市場跡地の再開発計画の動向だ。

 NHKの報道によれば、再開発ではスポーツ施設かエンターテイメント施設のいずれかと、ホテルやホールなどが予定されており、2024年3月にも決定されるとしている。どちらの案でも数万人単位の集客施設ができることになる。この施設が建設された場合、現状の公共交通では対応が困難だ。そのため施設の完成に時期を合わせて地下鉄を建設する必要性が出てくるだろう。

 湾岸の新たな開発によって、ようやく晴海は陸の孤島から“解放”されそうだ。

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