臨海地下鉄新線構想、そもそもなぜ晴海に「鉄道路線」が作られなかったのか? 何度も見放された不遇の歴史とは 現在の晴海エリアの地図(画像:国土地理院) 明治初期の晴海エリアの地図(画像:国土地理院) 1920年頃の晴海エリアの地図(画像:国土地理院) 1950年頃の晴海エリアの地図(画像:国土地理院) 1970年頃の晴海エリアの地図(画像:国土地理院) 1980年頃の晴海エリアの航空写真(画像:国土地理院) 1990年頃の晴海エリアの航空写真(画像:国土地理院) 現在の晴海エリアの航空写真(画像:国土地理院) 「臨海地下鉄」新線のルート(画像:Merkmal編集部) 羽田空港アクセス線の事業区間(画像:JR東日本) 晴海エリア周辺の様子。左は現在、右は1932(昭和7)年発行の地図。勝鬨橋がまだない(画像:国土地理院、時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕) 晴海ふ頭からの風景(画像:写真AC) 晴海町開発利用計画図。『東商』1957年12月号より(画像:昼間たかし) 東京港史。東京都1962年(画像:昼間たかし) 関連記事 【Amazon ギフト券プレゼント】自動車DXサミットvol.4 見逃し配信中! (PR)アイティメディア/メディア・ヴァーグ なぜ京急は営業収益を「1000億円」も増やせるのか? 羽田空港駅の大規模改修と収益モデルの変化、問われる次の一手とは かつては「広大な紡績工場の街」 2路線が交わる足立区中央部が、いちばん契約された街ランキング「14位→4位」に急上昇したワケ なぜ「都営三田線」が選ばれるのか? 住みたい街ランキング1位の駅が映す“移動の自由”という新基準 JR東の新夜行列車「ルナ・アズール」 なぜ乗車チケットは窓口から消えたのか? 「はやぶさ」との対比で見る体験価値への転換 この画像の記事を読む