銀座の上を走る「東京高速道路」の謎! なぜ建設時に境界線が引かれなかったのか

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銀座ファイブは、年末の宝くじ売り場としてにぎわう西銀座チャンスセンターが入っている商業施設である。この施設の住所は公式ウェブサイトにこう記されている。「東京都中央区銀座5丁目1番先」。いったいなぜか。

都市計画と現代の教訓

数寄屋橋交差点から見る東京高速道路(画像:写真AC)
数寄屋橋交差点から見る東京高速道路(画像:写真AC)

 埋め立てへの計画変更をめぐって都議会が紛糾した際、安井都知事は将来的に東京都の利益になるという理由で反対派を押し切った。当時の契約では、東京都は年間3000万円の地代を得る一方、埋め立て費用は支出することになっていた。しかも、35年後に寄付することになっていた。

 年月がたつにつれ、東京都と会社は契約をめぐって対立するようになり、1980(昭和55)年、東京都は償却が完了したと判断し、東京高速道路に土地の寄付を求めた。しかし、同社はこれを拒否した。契約書には「高速道路施設」を寄贈すると書かれていた。東京都は「高速道路施設」にすべての建物を含めたが、会社は建物は含まれないと主張し、寄贈を拒否した。

 この対立は訴訟に発展し、最終的には東京都が勝訴した。しかし、東京都は財政難を理由に売却を決め、2000(平成12)年に会社が東京都にすべてを寄付した上で約55億円で購入し、所有権を取得した。これも戦後の混乱期の不明確な計画の結果である。

 現在の関係者がこれを認めるのは難しいだろうが、この建設過程が境界未定区域を生み出した理由だろう。石川の部下で、後に東京都首都整備局長を務めた山田正男への聞き書き『東京の都市計画に携わって : 元東京都首都整備局長・山田正男氏に聞く』(東京都新都市建設公社・まちづくりサポートセンター、2001年)には、東京高速道路について触れた箇所がある。そこにはこう書かれている。

「陰には秀島乾(注:都市計画家)。あれが石川さんのところに入り浸っていたのだろう。東京都と東京高速道路株式会社との契約は全くいい加減だ」

 結局のところ、東京高速道路は、自らが構想したスカイビル構想を実現したい石川や、もうけたい都庁関係者や財界人など、さまざまな欲望が戦後のどん底のなかで実現したものなのだ。

 たとえ過去のこととはいえ、現存する施設の関係者にとっては、「戦後のドサクサにつくりました」とは認めがたいことは確かだろう。しかし、「PFIのパイオニア」という評価がある一方で、これも歴史の事実である。

 そこで明らかなのは、都市計画や交通インフラは長年にわたって利用されるものであり、施設が抱える問題は数十年後によみがえる可能性を秘めているということだ。この事例は、都市計画のさまざまな側面を現代に伝えている。

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