銀座の上を走る「東京高速道路」の謎! なぜ建設時に境界線が引かれなかったのか
東京の都市復興

ウェブサイト「骨まで大洋ファン」では、中井徳次郎衆議院議員の発言を資料として紹介している。
「東京で今高速道路というのをやっていましょう。あの堀を埋めまして、数寄屋橋がなくなってしまった、それを四、五年前に、自民党、社会党両党の委員がこぞって――村瀬さんもいらっしゃいますが、当時の建設委員が大いに反対したのです。ああいうものは風致を害するということでもって、やりました。そのときにだれが判を押したか調べてみた。そうしたら、安井君が二期か三期目の選挙の途中に、もう死にました石川栄耀さんという人が判を押しています。安井さんは留守です。あの人は、局長さんか何かでおられた。そういうことがあるのですよ」(昭和34年3月12日 衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員会)
つまり、石川は安井知事が選挙で不在であることを利用して、公有水面の占有を許可したのである。後述するが、この無謀なやり方は当時としても大問題となった。しかし騒動にもかかわらず、捜査が行われたり逮捕者が出たりすることもなかった。なぜなら、同じような疑惑のある開発や違法行為が東京のあちこちで行われており、そのなかに埋もれたからだ。
戦後、東京が焼け野原になった後、都市計画によって復興事業が次々と立案された。復興事業によって多額の資金が流入する一方で、土地の管理は混乱していた。戦争によって所有者を失った土地もあり、数多い河川を戦災がれきで埋める工事も進められていた。
利益を得るために賄賂や不正が横行していた。川を埋め立てた土地は東京都の所有だったが、勝手にバラックを建てるのは当たり前で、家賃を稼ぐためにバラックを他人に転貸する者までいた。
区議会議員や都庁職員など、何らかの権力を持つ者がこうした違法バラックで利益を得ていたケースも少なくなかった。東京都長官を経て初の民選都知事となった安井誠一郎は、こうした行為に何の手も打とうとしなかった。疑惑のなかでも大きなものは「東京の七不思議」と呼ばれた。