銀座の上を走る「東京高速道路」の謎! なぜ建設時に境界線が引かれなかったのか
東京高速道路の不明確な建設

自治体の境界線上に建物を建てる場合、計画段階で境界線を決めるのはごく一般的なことだ。その一例が、JR飯田橋駅に隣接する飯田橋ラムラ(東京都新宿区)である。
これは新宿区と千代田区の境にある飯田濠を埋め立てて建設された。建設にあたっては、新宿区と千代田区が協議し、商業棟は新宿区、住宅棟は千代田区と境界を画定した。施設の中央には区境を示す「区境ホール」が設置された。
では、なぜ東京高速道路建設時に境界確定作業が行われなかったのか。それは、道路と建物が
「極めて不明確なプロセス」
で建設されたからである。
まず、道路事業者である東京高速道路株式会社(東京都中央区)がウェブサイトに掲載している公式説明を見てみよう。
「東京高速道路株式会社は、自動車道事業と不動産賃貸事業を運営することにより、公共的役割を担う民間企業です。東京都心部を走る全長2km余の自動車専用の道路と、道路下にある賃貸スペース(14棟のビル)を管理運営しています。当社は、戦後、日本が経済成長を遂げていくためには道路網の整備が不可欠であると考えた財界人23名が発起人となり、銀座の復興と飽和点に達した自動車交通量の緩和を目的に、1951(昭和26)年12月に設立した、70年以上の歴史を持つ会社です。(中略)民間企業である当社による自動車専用の道路の建設は、「道路下を賃貸スペースとし、その賃貸収益を道路の建設費と維持管理費に充て、無料で一般に供用する」という仕組みによって実現しました。これは、今日のPFI(Private Finance Initiative、民間資金活用による社会資本整備)の先駆けともいえる当時としては画期的なビジネスモデルでした」
今回、筆者(昼間たかし、ルポライター)は同社と話をし、次の情報を書面で受け取った。
「当初の計画は、外堀を利用して川の効用は残し、舟行に支障がないように、公有水面の上に建築物を建てる「浮御堂式」の高速道路を建設しようとするもので、東京都の許可を得た。しかし、1953年(昭和28年)8月に建設をはじめてから、・道路の拡幅の必要から、川幅のほとんど全面が道路で覆われることになること。・当時、生活用水の垂れ流しにより、水質や臭気等環境が悪化しており、川幅のほとんど全面が道路で覆われることになると一層の環境悪化が懸念されること。などの理由から、・汐留川、外堀、京橋川の一部を埋め立て、建物の上が道路となる道路建物一体型の自動車専用の道路を建設する計画が策定された。この計画には、川を残したいとする地元の運動もあったが、学識者に意見を求め、衛生、環境美化の観点から、最終的に東京都が埋め立てを決定し、会社が都の委託を受ける形で工事を継続して行うことになった。決定の背景には、・河川の舟運衰退により、既に堀の埋め立てが行われていたこと。・三十三間堀川、八丁堀川等では、既に戦禍による瓦礫で埋め立てが行われている実績があること。などがあったと思われる。その後、13年の歳月をかけ、1966年(昭和41年)3月に全長約2キロメートルの道路が竣工し、同年7月に全線供用開始となった」