銀座の上を走る「東京高速道路」の謎! なぜ建設時に境界線が引かれなかったのか
水面使用許可への疑念

東京高速道路は1951(昭和26)年3月、「スカイビルディング株式会社」として営業を開始した。 同年12月に東京高速道路株式会社が設立されている。この間、同社は1951年3月に東京都知事から「公有水面及道路敷占有並びに工作物設置」の許可を得ている。許可の条件は、道路事業については別途許可を与えること、道路と駐車場を無料開放することであった。
契約書類などは東京都公文書館に、工事の青図は国立公文書館に保管されているが、境界確定に関する協議の資料は残っていない。また、この時点での許可は水面上に工作物を設置するためのもので、埋め立てのためのものではなかった。途中から埋め立てに変更されたことは、東京高速道路から今回受け取った文書にも記されている。
しかし実際には、埋め立ては当初から計画されていた。東京高速道路の計画の原型は、都市計画家の石川栄耀(ひであき)らによるスカイビル構想だった。高層ビルを建て、中層階に自動車道路を通すことで交通を緩和し、土地の有効利用を図ろうというものだった。
東京都公文書館に所蔵されている「スカイビル及スカイウエイ計画概要 其の一1」という資料には、外濠川を利用したこの計画の実施案が記されている。この資料が作成されたのは1950年。同社が東京都から水面利用の許可を得たのは翌年のことである。つまり、同社は「建設を始めてから」といっているが、実際には許可が下りた時点で埋め立て計画は完成していたのである。
さらに、東京都の水面使用許可そのものにも疑問があった。当時東京都建設局長だった計画者の石川は、当時の安井誠一郎都知事の留守中に独断で決済をしたというものである。都市開発史を専門とするウェブサイト「骨まで大洋ファン」では、議会の議事録をもとにこの可能性を示唆している。