「風俗広告トラック」は街の邪魔者? 東京都規制方針であたらめて考える
アドトラックの歴史
トラックの荷台に大型広告を掲示するアドトラック(大型広告を車体に掲示して走るトラック)の規制について、都の審議会での議論が始まっている。都は年度内に議論をまとめ、関連法規の改正を目指すとしている。
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だが、この動きに対応するかのように三輪バイクを利用した新たな手法「アドバイク」が出現している。アドトラックの規制の背景や歴史、そして新たなる挑戦者・アドバイクの登場。イタチごっこはいつまで続くのか――。
現在よく見られるアドトラックの原型が登場したのは1986(昭和61)年である。都内の広告代理店が米国で行われていたスタイルを取り入れたのが始まりだとされている。
では、現在のスタイルのアドトラックの登場以前には、車両を用いた広告宣伝は、どのように行われ規制されていたのだろうか。出現時期は明確ではないが、自動車に看板やスピーカーを取り付けて街頭を走行する宣伝手法は古くから登場していたようだ。
こうした広告宣伝車に対する規制は、戦後間もなくから始まっている。1948年に道路取締令(大正9年内務省令)と自動車取締令(大正8年内務省令)に代わり新たに
「道路交通取締法」
が施行されたとき、広告宣伝車の規制も定められている。同年に警視庁が制定した道路交通取締規則では、以下の行為に対しての目的・方法・期間・場所を明記し、所轄警察署長の許可が必要とされた。
・車馬または軌道車を装飾し、または旗、のぼり、看板、あんどんなどを用いて広告宣伝を目的として通行する場合
・諸車に拡声器を取り付け、放送しながら通行する場合
馬車の使用も考慮されているところをみると、戦前には既に広告宣伝車は存在し、野放しにはしておけない存在になっていたようだ。