京都につながる街道「京の七口」 あなたはいくつ知ってる?
京都をぐるりと囲った御土居とは

その昔、京都の町は、御土居(おどい)や御土居堀と呼ばれる土塁(土を盛りあげ土手状にした防御施設)、あるいは土塁と堀の組み合わせに囲まれていた。
そして何を隠そう、この御土居を造ったのは豊臣秀吉だ。この記事執筆時点では、NHKの大河ドラマ『どうする家康』で、ムロツヨシ扮(ふん)する秀吉が、織田信雄・徳川家康連合軍と小牧・長久手の戦いを終えたところである。
秀吉は1584(天正12)年の小牧・長久手の戦いの7年後、1591年に御土居を構築したのだ。おそらく、この記事が配信される頃の『どうする家康』の時期に、御土居が造られたと思われる。念のため断っておくが、大河ドラマの案件やタイアップではなく、単なる偶然である。
余談はさておき、この御土居は、総延長22.5kmととてつもない大きさであった。今でいうと、北は京都市北区鷹峯旧土居町から、南は九条通り、東は加茂街道・河原町通り、西は最も広いところで西大路通りまで囲まれていたこととなる。このように、京の町は御土居にすっぽり囲まれていたのだ。
この御土居は、秀吉による都市改造事業のひとつとされている。御土居以外では、聚楽第(じゅらくだい)と武家町の建設、内裏・公家町の再編、市内に散らばっていたお寺を集めて造った寺町、寺之内地区も秀吉によるものである。特に寺町は、今の河原町通りの西側にある寺町通りという通り名で残るとともに、寺町通りに沿って今でもお寺が並んでいる部分もある。
御土居には、構築時から竹が植えられ、秀吉の時代には竹奉行が管理を行い資材として利用していたそうだ。江戸時代になると、角倉家や寺社などによる管理となり、以降は市街地の拡大とともに、ほとんどが取り壊されてしまった。
今でも一部残されており、筆者(ネルソン三浦、フリーライター)は、北野天満宮の北にある北区平野鳥居前町の御土居が推しである。現地で道路から見上げる御土居はなかなか壮観だ。