江戸時代の運送業者「飛脚」料金いくらだった? ふんどし姿だけじゃない? 知られざる実像に迫る【連載】江戸モビリティーズのまなざし(16)

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江戸時代の都市における経済活動と移動(モビリティ)に焦点を当て、新しい視点からそのダイナミクスを考察する。

飛脚の利用料金は高額

飛脚の荷物に付けた「絵符」(えふ)は荷物の証明書である(画像:郵政博物館)
飛脚の荷物に付けた「絵符」(えふ)は荷物の証明書である(画像:郵政博物館)

 飛脚に従事する者は、宰領を除けば主に通日雇(とおしひやとい)だった。通日雇とはわかりやすくいうと、飛脚問屋が雇った派遣労働者である。

 実際、問屋にはもともと口入(くちいれ)という、奉公人などをあっせんする派遣業を母体とする者が少なくなかった。江戸には地方からやって来た出稼ぎ人が多かったので、定職を持たないそうした者たちを飛脚として雇い、派遣したのである。人手には困らなかったろう。

 一方、問屋が発注者から受け取る運送料はいくらだったのだろうか。これが、なかなかの高額だった。早便の一例を『江戸の飛脚』から抜粋する。

・3日便:金32両
・4日便:金7両
・6日便:金6両
・8日便:金4両(1868(慶応2)年)

 金1両を現在の価値に換算するのは難しく諸説あるものの、ここでは日本銀行金融研究所貨幣博物館「お金の歴史に関するFAQ」が幕末の1両を約4000円~1万円としているのにならい、切りのいいところで1万円とする。そうなると、3日便は32万円、8日便は4万円となる。これに中継所ごとに、馬や人手などの交代料金がプラスされた。早便は追加料金のかかるシステムだった。

 並便はもっと安かったと考えられるが、全体的に高いといえる。顧客は武家や富裕商人がメインであり、町人はおいそれと利用できなかったろう。

 問屋は多くの利益を得ていた。つまり、もうかる商売だった。一方で飛脚の人足の給金は史料に乏しいため、はっきりとはわからない。しかし、従事者がいわば定職のない「無宿者」だった以上、安く抑えられた可能性は捨てきれない。

 2024年問題を控え、トラック運転手の長時間労働や賃金アップに向けた対策を考えざるを得ない今、こうした飛脚の実像を知っておくのはモビリティ業界に関わる者にとって必須だろう。運輸業に携わる労働者の賃金が不透明なのは、今に始まったことではないのである。

●参考文献
・江戸の飛脚 人と馬による情報通信史 巻島隆(教育評論社)
・定飛脚日記からみる飛脚問屋 巻島隆/郵政博物館研究紀要第6号
・守貞漫稿図版集成/雄山閣
・日本歴史「飛脚問屋について」藤村潤一郎/日本歴史学会

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