江戸時代の運送業者「飛脚」料金いくらだった? ふんどし姿だけじゃない? 知られざる実像に迫る【連載】江戸モビリティーズのまなざし(16)
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江戸時代の都市における経済活動と移動(モビリティ)に焦点を当て、新しい視点からそのダイナミクスを考察する。
早便は現在のお急ぎ便や期日指定

一方で1782(天明2)年、9軒の飛脚仲間が幕府から公認された。飛脚仲間とは飛脚問屋を営業する「株」を認可された者たちで、9人が誕生した。これを「九軒仲間」といい、定飛脚(じょうびきゃく)の名称を使用することを許されるようになった。彼らが運んだのは、手紙ではなく主に荷物である。
九軒仲間は冥加金(みょうがきん)を幕府に収めた。冥加金は利益の一部を幕府に上納するいわば雑税で、初年度に100両、次の年から毎年50両だったという(『江戸の飛脚』)。
九軒仲間を別格として、各地に民間の問屋もあった。飛脚の需要が増すにつれて業者同士で提携する必要が出てきたためで、実際にどれほどの数だったかは把握しきれない。
これも『江戸の飛脚』によるが、定飛脚の基本的な輸送手段は、
「馬に荷物を付け、宰領(さいりょう)飛脚が馬荷と共に騎乗して、宿場の問屋馬で馬と馬方(うまかた/馬を引く者)を交換しながら主要街道を移動した」
とある。宰領は飛脚たちの監督役であり、荷物の管理者である。また、至急かつ小型の荷物は、走り飛脚がリレーしながら運んだという。
上記はあくまで基本であり、並便・早便といった種類もあった。並便は通常便、早便は現在でいうお急ぎ便や期日指定である。
例えば並便は15~30日と期日に余裕がある一方、早便は最短で3~3日半便、次に4日便、6日便、8日便、10日便など、急を要する荷物だった。早便になると宿場町で頻繁に馬を交換し、昼夜を問わず運行することもあったという。