高齢の元トラックドライバー独白! 昭和・平成を疾走、「昔は荷主と助け合い」「今じゃタダ働き当たり前」 規制緩和が生み出したゆがんだ階級構造とは

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トラックドライバーを取り巻く環境は昭和、平成、令和と大きく変化してきた。時代を駆け抜けてきた元オーナードライバーに話を聞いた。

平成から変化した境遇

物流トラック(画像:写真AC)
物流トラック(画像:写真AC)

「昔はお互いさまというか、契約になくても、まあサービスのつもりで搬入まで手伝ったことはある。倉庫のなかまで作業員の皆と運んだりね。でも、いつの間にか「あそこに運んどいて」になって。しまいには「あそこに運べ」になった」

 昭和の時代から運送業を営んでいた元オーナードライバーは、ゆっくりと記憶をたどるように語ってくれた。いわゆる映画『トラック野郎』の時代からの話だが、いまでは当たり前のトラックドライバー自身による荷物の手積み、手降ろしから指定場所・箇所への搬入だが、昔は必ずしなければならない作業ではなかったという。

「荷主とか、金額にもよるけど、工場や店舗の従業員が運ぶのが普通だったよ。商品によっては運転手が触れちゃいけないものもあったし、本当にいろいろだけど、乗ってるのも手持ち無沙汰だしまあ、助けてやろうか、早く仕事終えたいしって感じで手伝うことは多かった。でも平成に入ってしばらくかな、「あそこに運んどいて」が増えた」

 筆者(日野百草、ノンフィクション作家)も記憶にあるが、トラックの運転手自身が大量の荷物を積み込んだり、降ろしたり、ましてや指定の場所に手で運ぶ、フォークリフトで運ぶ、さらには棚入れ、陳列から組み直しまでするようになったのはそれほど古くからの話ではないように思う。確かに「いつの間にか」ドライバーが何でもするようになった。

「ドライバーにもよるけど、腰をやるのは座りっぱなしが多かった。いまも長距離なんかはそうかもしれないが、それがいつの間にか、ほとんどが荷物の積み下ろしで腰をやるようになった。運びかけの荷物の横で倒れてたドライバーが「ヘルニア持ちなんです、しばらくしたら動けますから大丈夫です」なんて現場も見たよ。荷主は「迷惑だから救急車なんて呼ぶな」だよ。ひどいもんだった」

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