高齢の元トラックドライバー独白! 昭和・平成を疾走、「昔は荷主と助け合い」「今じゃタダ働き当たり前」 規制緩和が生み出したゆがんだ階級構造とは

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トラックドライバーを取り巻く環境は昭和、平成、令和と大きく変化してきた。時代を駆け抜けてきた元オーナードライバーに話を聞いた。

「物流二法」の弊害

物流トラックドライバー(画像:写真AC)
物流トラックドライバー(画像:写真AC)

 椎間板ヘルニアの症例はさまざまだが、軽度の時点ではしびれがおさまれば動けるようになる場合もある。

 慢性化するとやっかいで、プロドライバーにも悩む人が多い職業病だ。筆者も宅配便で道ばたに倒れた人を助けたことがある。彼も椎間板ヘルニアだと言っていた。

「まずひどくなったのは平成に入ってからかな、1990年代だ。規制がゆるくなって参入が増えた。競争が激しくなって、昔からの個人トラックとかダンプは淘汰(とうた)された。ドライバーのすることが増えて、2000年代あたりから何でもやらされるようになった」

「物流二法」と呼ばれるが、自民党一党体制時代の1990(平成2)年に道路貨物運送業の規制緩和として

・貨物自動車運送事業法
・貨物運送取扱事業法

が施行された。現在の消費者の「安い」「早い」「便利」という恩恵はこの物流二法から始まっている。

 確かに個人配達でも、昔は宅配便の料金は高くて時間もいまよりはかかり、その分ドライバーは稼げた。日本郵便も国営の日本郵政公社だったので、小包はもっと時間を見なければならなかった。宅配便に比べれば安かったので筆者も親から

「宅急便(本来はヤマト運輸の商標)なんてぜいたく、小包にしろ」

と言われたことを覚えている。

「2000年代に入るとむちゃな要求が当たり前になった。中小のスーパーだと陳列までやらせるところがあった。パレットの回収も少量でも当たり前に呼びつけられた。全部とは言わないが、まあ無料でやらされた。「どうせ帰るんだから運べ」とタダで帰り荷を押しつけられたこともあった。渋い顔をすれば「おたくには頼まない」となる」

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