別名「圧死アワー」 昭和30年代の満員電車は想像以上だった! 混雑率300%に悩まされた鉄道マンとモーレツ社員の歴史

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昭和の満員電車は、今では考えられないほどひどいありさまだった。その歴史をたどる。

東京圏の混雑率は300%

満員電車(画像:写真AC)
満員電車(画像:写真AC)

 昭和の満員電車は、今では考えられないほどひどいありさまだった。とりわけ問題となっていたのは高度経済成長期だ。当時、首都圏の人口は拡大し、生活圏は拡大していたが、鉄道設備はそれに全く追いついていなかった。

 昭和30年代、東京圏の鉄道の混雑率は300%に達していた。2021年は108%、コロナ以前は160%前後なので、単純計算で、コロナ以前の倍近くの人が乗っていたことになる。今では信じられない通勤風景だ。300%は定員の3倍を意味するが、実際はそんなに乗り込めない。ゆえに、あぶれた乗客が駅にたまる風景が日常化していた。

 さらに労働組合による順法闘争で、電車に運休や遅れが生じ、怒った乗客が暴徒化した。1973(昭和48)年3月の上尾事件である。

 中央線では昭和30年代、ラッシュアワーならぬ

「圧死アワー」

と呼ばれるほど、すさまじい通勤ラッシュが当たり前になっていた。

 中央線沿線では人口増とともに住宅開発が活発化し、沿線人口が急増していた。ただ、鉄道の整備はそれに対応できず、お粗末なものだった。資料を探ってみたところ、

「けさケガ人なし」

という見出しで、中央線の混雑を報じている当時の新聞記事があった。けが人がいなかった程度のことで記事になるということは、裏を返せば、朝のラッシュで当たり前にけが人が発生していたと理解できる。その光景たるや、

「満員の乗客で電車の窓ガラスが割れる」

こともあったというから、現在の満員電車などかわいいものだ。