20年前の大躍進! 単なるアクセス路線だった「こどもの国線」が通勤線に“昇格”したワケ

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長津田~こどもの国間を結び、東急電鉄が運送する「こどもの国線」。同線はなぜ通勤線化されたのか、歴史をたどる。

実は法人が管理していた

横浜高速鉄道Y000系は通勤線化前の1999年8月1日にデビュー(画像:岸田法眼)
横浜高速鉄道Y000系は通勤線化前の1999年8月1日にデビュー(画像:岸田法眼)

 横浜市港北区(現・青葉区)奈良町と東京都町田市をまたぐレジャーランド・こどもの国。同園は皇太子さま(現在の上皇さま)の御成婚記念事業として、1959(昭和34)年に構想され、1965年5月5日に開園した。97万平方メートルに及ぶ広大な土地を確保できたのは、在日アメリカ軍が管理していた田奈弾薬庫跡を返還したからだ。

 当時、こどもの国への交通アクセスは東京急行電鉄(現・東急電鉄)田園都市線の青葉台駅、田奈駅、当時の国鉄横浜線も含む長津田駅から路線バスに乗らなければならず、輸送力や利便性に課題を残した。特に毎年5月5日(こどもの日)になると、入場者は6~7万人を記録した。

 こどもの国を運営する特殊法人(現・社会福祉法人)こどもの国協会は、長津田から田奈弾薬庫に通じる軍用の引き込み線に着目した。戦後、長らく放置され、こどもの国が開園すると遊歩道代わりに歩く人の姿もあった。

 こどもの国協会は運輸省(現・国土交通省)に鉄道敷設の免許を申請し、了承された。鉄道に関するノウハウがないので、線路の整備、直流電化や駅の工事は東急電鉄が委託を受けるカタチで建設が進められた。

 1967年6月28日、こどもの国線長津田~こどもの国間(3.4km)が開業。列車の運行に際し、東急電鉄がこどもの国協会の線路を借り受けて運営する方式が採られた。また、こどもの国線の運賃は均一制としたため、例えば中目黒~こどもの国間の運賃は「東急線 + こどもの国線」の合算制とした。これは現在も変わらない。

 車両も東急の初代3000系が用意され、アイボリーホワイトをベースに、窓周りを赤、その下にオレンジのラインを入れた“こどもの国線専用車”とした。

 1986年12月4日に鉄道事業法が施行されると、東急電鉄は第2種鉄道事業者(第1・3種鉄道事業者が敷設した線路を使用して運送を行うこと)、こどもの国協会が第3種鉄道事業者(自社が鉄道線路を敷設し、第1種鉄道事業者に譲渡、もしくは第2種鉄道事業者に使用させることができる。自社は運送業務を行わない)となった。