大田区vs川崎市 「多摩川スカイブリッジ」開通の裏にあった、知られざる対決の歴史とは

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2022年3月、羽田空港と川崎臨海部をつなぐ多摩川スカイブリッジが開通したが、その意義はあまり知られていない。歴史からひも解く。

計画の具体化は2004年

多摩川スカイブリッジ(画像:東京都)
多摩川スカイブリッジ(画像:東京都)

 2022年3月、羽田空港と川崎臨海部をつなぐ多摩川スカイブリッジが開通した。橋の前身となる「神奈川口構想」から約20年を経ての快挙だった。長さは約675m、幅員は17.3~21.3mだ。

 ただ、コロナ禍の観光需要の減少からか、このことは驚くほど注目されていない。多くのメディアは橋が開通したことを報じるのみだ。ということで、本稿では改めて多摩川スカイブリッジ開通の「意義」について記していく。

 対岸に羽田空港を臨みながらも、アクセスルートが大田区を大きく迂回する形になっている神奈川県にとって、羽田空港から川崎市への直通ルートの建設は、長年の課題になっていた。

「神奈川口」と呼ばれる、このルートの計画が具体化したのは2004(平成16)年だ。この年、国土交通大臣、神奈川県知事、横浜市長、川崎市長による「神奈川口構想に関する協議会」が開催された。この会では、羽田空港の拡張工事にあわせて、首都高湾岸線と大師橋の間に橋または海底トンネルを建設し、川崎市側にも空港施設を建設することが話し合われた。

 しかし、構想はなかなか具体化しなかった。

 最も大きな障害となったのは、新たな連絡道路の建設に大田区が反対の意思を示したことだった。大田区では当時、空港拡張工事で発生する約53ha(東京ドーム11個分)の土地に、産業支援施設や公園の整備を計画。もし連絡道路ができれば、利用できる跡地が減少することが懸念されていた。

 さらに空港周辺では、連合国軍総司令部による空港拡張のため、太平洋戦争後に住民が強制的に立ち退かされた歴史があった。そのため、自分たちの土地であり、自分たちのために使いたいという意見が根強かったのだ。