杉並区で初の女性区長 争点だった区内「道路拡幅計画」の行方どうなる? 大切なのは利便性か、街のプライドか

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現在、杉並区は西荻窪駅と青梅街道を結ぶ「北銀座通り」の拡幅を進めている。これらの整備で、果たして「杉並らしさ」は失われないのか。

杉並区長選の争点だった「道路関連整備」

杉並区役所(画像:(C)Google)
杉並区役所(画像:(C)Google)

 2022年6月19日の投票、20日に開票された東京都杉並区の区長選挙は、新人候補の岸本聡子さんが当選を果たした。初の女性区長となる。

 杉並区長選の争点は多岐にわたるが、そのひとつに

「道路関連整備」

があった。

 杉並区では、西荻窪駅の都市計画道路の早期実現や阿佐ケ谷駅の駅前ロータリーなどの再整備計画などが議論されてきた。

 中央線が東西を貫く杉並区は、閑静な住宅街として、サブカルチャーの根づく街として知られる。こうした住みやすい環境が、学生・ファミリー層を問わず老若男女から人気を得ている。

 杉並一帯が閑静な住宅地として歩み始めたのは、大正から昭和初期にかけてのことだった。杉並区の取り巻く状況を押さえておく必要があるため、まず杉並区の発展史をざっとおさらいしていこう。

 東京は明治維新で人口が激減したものの、明治半ばから人口が急増。明治40年代には早くも住宅難が深刻化していた。当時の住宅事情は、江戸時代から大きな変化はなく、長屋と呼ばれる狭い集合住宅が連なっていた。多くの市民はそうした住宅事情を甘受して生活していた。

 そうした状況は、1923(大正12)年に起きた関東大震災で一変する。家屋が密集する東京都心部の被害が甚大である一方、郊外では家屋の倒壊被害はほとんどなかった。防災面が注目され、少しずつ郊外に住居を構える人たちが増えていく。

 しかし、災害に強いというだけで、郊外に家を引っ越せる人は決して多くない。当時、少しずつ会社勤めのサラリーマンが増えているとはいえ、大半の人たちは農業に従事していた。そのほかは商店や町工場を営む個人事業主で、それらの人たちは職場と住居が一体化した職住同一もしくは職住近接の家屋だった。こうしたライフスタイルだと、なじみ客なども多いから、容易に店舗・町工場を移転させることはできない。移転は生活の糧が絶たれることを意味する。

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