大田区vs川崎市 「多摩川スカイブリッジ」開通の裏にあった、知られざる対決の歴史とは
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大田区vs川崎市

2008(平成20)年11月、大田区と川崎市の首長会談が実施されたものの、大田区は会談終了後に「反対の意向を伝えた」と発表。
対して、川崎市は
「まちづくりの必要性に共通の理解が得られた」
と、大田区の反対意見を無視した発表を行い、両者の合意は不可能と見られた。
そんな橋の計画が一転したのは、2014年だった。その背景には
・東京五輪の開催決定
・東京都9区/神奈川県全域の国家戦略特区指定
・神奈川県に地盤を持つ菅義偉氏の官房長官就任
があった。
これらの起爆剤と政治環境の変化によって、計画は政府主導で進行した。また、大田区が求めていた国道357号(東京湾岸道路)の多摩川トンネル以南への延伸を同時進行する方針が決まった。
また、大田区では空港南端部まで建設が進みながら計画が止まっていた、羽田空港から川崎市川崎区浮島のトンネル区間(約3.4km)の整備を求めていた。この延伸計画と同時に建設を進めるということで、大田区も橋を了承。こうして、神奈川県にとって悲願ともされた「神奈川口」は実現することとなった。こうして、多摩川スカイブリッジは完成した。
様変わりした川崎市の風景

この期間、対岸の川崎市側の風景も様変わりした。
京急川崎駅から伸びる大師線の終点である小島新田駅はかつて、周囲に住宅地が広がるだけの小規模な駅だった。ところが橋の計画が進展するとともに、駅周辺でマンションの開発が進んだ。その背景には、駅から海側の川崎市臨海部・殿町3丁目地区への企業の集積があった。
川崎市は空港との近接性を前面に出し、外資系、国内大手の医療機器メーカーなどの誘致に成功した。折しも新型コロナウイルス感染症の流行で、ライフサイエンス関連産業の需要が高まっているなか、国際空港に隣接した研究・開発拠点が存在していることの価値は大きかった。
また、京浜臨海部が国家戦略特区に指定されたことで、かつて対立していた大田区と川崎市は共同して特区を展開させる関係性となった。その発展のためには、製品や人の往来を円滑にすることが不可欠だった。そのため、かつて大田区が必要としなかった橋は、すぐにでも欲しいものへと変化した。