再開発後の「虎ノ門」に人は集まるのか? 突破のカギとなるのは「モビリティ」「歩行者目線」だった!
歴史の交差点

虎ノ門は、江戸城から見れば南へとつながる門である。この江戸の土台をもとに、明治には霞ヶ関を支えるエリアとなり、高度成長の時代には霞ヶ関を支え、自動車の時代には、国道1号線と未完の環状2号のクロスポイントとなった。そこに、情報の流れが統合されている。そして、現在の虎ノ門は、新たな再開発を迎えている。
歴史的に見れば、虎ノ門は、江戸からの現代までの生活と時代の変化のなかで、その役割を次々と変えてきたエリアである。その行き先は、コロナ前の価値観を反映した国際新都心・グローバルビジネスセンターだけではない。もっと多元的な行き先をはらんでいる。
高層ビルが林立し、競争が激化するなかで、虎ノ門の再開発はどう受け入れられるのか。都内年収1億円以上の富裕層は約9000人である。高層ビルが60棟も林立するなかで、どこまで富裕層にとって魅力のエリアにすることができるのか。どれだけ集いたい人たちが集まるのか。答えは、「規模の経済」や「速度の経済」ではなく、
「多様性の経済」(J.ジェイコブス)
だろう。
1990年代、地価が上昇したニューヨークでは効率性を高めるために大規模ビルが林立した。そして、それが街を面白くない場所にした。1ブロックが歩くのに長く、店もカフェもなく閑散とした。日本の土日の霞ヶ関官庁街を思い浮かべればよい。そして、にぎわいを取り戻したのは、ビルの1階を開放し、低家賃にして、店やカフェが入れるようにしたからである。歩く目線での多様性の増大である。
もうひとつは、
「モビリティが生む魅力」
である。
人や物が移動する際に、さまざまなモビリティ手段が利用される。歩行、キックボードや自転車などサイクル、さまざまなモータサイクル、バスや地下鉄などの公共交通手段、貨物輸送、中距離交通手段、カーシェアリングや自家用車などが選択される。
虎ノ門ヒルズの下に高速道路が走っている。連結バスで知られるBRT(バス高速輸送システム)などのシステムも利用できる。有明や羽田も交通手段の革新でより近くなった。これに、自動運転システムやIoT(モノのインターネット)でつながった物流システムがフル活用できる。
虎ノ門エリアは、多様な人々と多様な人々を結びつけ、東京と地方を結ぶ、柔軟な移動システムを持つプラットホームになる。人との多様な出会いは、情報、コンテンツやソフトなどのイノベーションを生み情報プラットホームになる。このような重畳(ちょうじょう。幾重にもかさなること)があたらしい生活文化や暮らしを生み出していく。
こうなれば、虎ノ門は江戸を守る白虎から世界へと通じる道に宿る白虎へと進化する。歴史プラットホームの交差点である虎ノ門に着目したい。