「目立つのもしんどい」 シーマ現象から40年! 誰もが選ぶ大衆車が“正解”になった根本理由――なぜ個の突出は“重荷”になったのか

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バブル期の大衆車が「無難」とされていた評価は逆転した。所得停滞と車両価格上昇でリスク回避志向が強まる中、2025年の上位10車種が全体の2割を占める市場集中は、安心と信頼を示す合理的選択としての大衆車人気を浮き彫りにする。

差異化が成立した環境

トヨタ・6代目カローラ(画像:トヨタ自動車)
トヨタ・6代目カローラ(画像:トヨタ自動車)

 バブル経済は1986(昭和61)年頃から地価や株価の上昇に始まり、1991(平成3)年に崩壊した。その余韻が残る1990年代初頭には、資産価値や可処分所得(税金や社会保険料を差し引いた、自由に使える手取り収入)の増加を背景に、高価な商品を持つこと自体が成功や上昇志向を示す手段として定着していた。

 人に見せるための消費が活発に行われ、価格の高さが社会的優位性を示す記号として機能した。この時期の心理は、他者との差別化にあった。大勢とは異なる選択をすることが、社会的承認に直結していたのである。その象徴が

「シーマ現象」

と呼ばれた日産・シーマの大ヒットである。1988年に発売された初代シーマは、それまでの日本車の枠を超えたスタイリッシュな外観と3ナンバー専用ボディが特徴だった。当時は5ナンバー車と3ナンバー車で物品税や自動車税の負担が大きく異なり、3ナンバーを所有することは成功者の証とみなされていた。

 最上級グレードは500万円を超え、当時の大卒初任給の30倍近い価格だったが、発売から3年半で約13万台が販売された。購入理由の筆頭に「価格が高かったから」が挙げられたことは、当時の消費者が車両の性能以上に、高価格という記号を求めていた実態を示している。

 こうした状況では、誰もが乗る大衆車を選ぶことは、経済的には合理的でも、心理的には上昇の停止や個性の欠如として受け取られた。当時はテレビや雑誌による宣伝が主流で、万人受けを狙う主流の存在は

「商業的で格好悪い」

と見なされやすかった。主流に背を向け、ニッチで高価なものを選ぶことが知的な感性を示すと考えられていたため、実用品として優れていても、大衆車が社会的承認を得る位置に収まることは難しかった。

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