「年間の半分は休業」でも、潰れない鉄道の正体――巨大電力会社の“100%子会社”が冬にだけ見せる特別な姿とは
黒部峡谷鉄道は冬季限定「プレミアムツアー」で増収を図るが、豪雪地帯の維持リスクや富山地方鉄道の存廃問題が復旧と観光計画の成否を左右する。
そもそもは発電所の専用鉄道。

その疑問は、黒部峡谷鉄道の公式サイトにある沿革からほぼ解明できる。日本で最も深く、最も大きな峡谷である黒部峡谷は、その険しさから長く人々を寄せ付けなかったが、1919(大正8)年に東洋アルミナムがこの地で電源開発を始めた。その後、日本電力が事業を引き継ぎ、1923年には黒部川水系の発電所建設の資材運搬用として、宇奈月~猫又間の軌道敷設工事が始まった。1937(昭和12)年に宇奈月から欅平までが開通し、これが現在の黒部峡谷鉄道である。
鉄道の経営は、日本電力から1941年に日本発送電、さらに1951年に関西電力へ引き継がれた。当初は資材運搬専用の鉄道だったが、地元住民の利便を図るため無料便乗という形で人も運んでいた。1929年からは観光客の増加に対応し、便乗料金を徴収する形で一般客にも開放されたが、1951年10月に禁止されるまで続いた。
1953年11月、関西電力は地方鉄道業法の許可を得て「黒部鉄道」として営業運転を開始し、電源開発の資材・人員輸送主体から旅客輸送へと軸足を移した。1971年5月には関西電力の子会社として黒部峡谷鉄道を設立し、同年7月1日から営業運転を開始している。
つまり、トロッコ電車という観光鉄道としての側面は、もともと発電所向けに資材や人員を運ぶ専用鉄道から派生したものである。
公式サイトによると、黒部峡谷鉄道の事業内容は鉄道事業(宇奈月~欅平間)、物品販売事業(売店・食堂・駐車場)、受託事業(関西電力専用鉄道運輸施設の運転保全、黒部川電気記念館の管理運営)である。各セグメント別の売上比率は公表されていないが、関西電力が黒部川水系での発電事業を止めるとは考えにくく、受託事業という安定収入の上に経営が成り立っているとみて間違いないだろう。