「郷に入っては郷に従え」 インバウンドの迷惑行為に“郷に従え論”は全く意味がないワケ――77%が迷惑と感じる異常事態、日本の静寂は守れるか

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2025年、日本を訪れた外国人は約4270万人に達し、都市交通の受け入れ能力は限界に近い。文化的背景の違いから公共秩序への摩擦が生じ、日本の鉄道システムの暗黙ルールの弱点が浮き彫りになっている。

誰も見張らなくても成立する日本の公共秩序

インバウンドが見る日本イメージ(画像:Pexels)
インバウンドが見る日本イメージ(画像:Pexels)

 日本の公共空間では、誰かが常に見張っているわけではないのに秩序が保たれている。これは、お互いに相手を意識し合う仕組みが働いているからだ。周囲の視線や雰囲気を感じ取り、それに合わせて行動を修正する。

 しかし、インバウンドはこの

「相互監視の網の外側」

にいる。言葉の壁もあり、周囲の視線や空気を読み取ることができない。さらに、短期滞在者には評判という抑止力が効かない。地域に根ざして暮らす人であれば、評判が下がると将来的に困ることがあるが、数日で去る旅行者にとって、他人からの否定的な評価は何の損失ももたらさない。

 日本人は公共の場での振る舞いを通じて、長期的な信頼関係を築いている。この信頼が、仕事や近所付き合いなど、将来的な利益として返ってくる。だが、一時的な訪問者にはこうした見返りがない。

 人間の行動は、常に損得の計算で決まる部分がある。インバウンドが日本の暗黙のルールを守らないのは、道徳心が欠けているからではなく、計算の結果そうなっているだけだ。

 大きな荷物を床に置く行為は、自分にとってはすぐに疲れが取れるという利点がある。一方、それを避けるには、重い荷物を持ち続ける体力的な負担と、どこに置くべきかを考える頭の負担がかかる。周囲からの冷たい視線という損失は、言葉と文化の壁によってほとんど感じられない。この計算では、ルールを守らない選択が常に有利になる。

 さらに、ルール違反が起きることで、隠れていた問題が明らかになる面もある。インバウンドの「逸脱」は、日本が暗黙の了解に頼りすぎていたという弱点を浮き彫りにした。この意味で、今の混乱は、次の段階へ進むための通過点と捉えることもできる。

 ある場所でうまくやっていくには、お金だけでなく、その場所で大切にされている知識や振る舞いを身につけているかどうかが重要になる。

 日本人は長年かけて、公共空間での適切な振る舞いという知識を蓄積してきた。この知識は、スムーズな移動や他人からの好意的な評価という形で利益をもたらす。しかし、インバウンドはこの知識を持たないまま日本の公共空間に入ってくる。彼らにとって、日本の鉄道はただの移動手段であり、文化的な意味を読み取る必要性を感じない。

 この知識の差は、一方的な摩擦を生む。日本人側は

「当然知っているべきこと」

を相手が知らないことに腹を立て、インバウンド側は何が問題なのか理解できないまま非難される。この食い違いが、お互いの理解を難しくしている。

 欧米の多くの鉄道では、大型荷物の持ち込みには追加料金が発生する、優先座席の利用は厳しく監視される、車内での通話は専用エリアに限られるといった、文字で書かれたルールと罰則が存在する。これらは、さまざまな文化の人が混ざることを前提とした仕組みだ。

 日本はこれまで、文化的に似通った人が多かったため、こうした仕組みを必要としなかった。しかし、多様な文化が急速に流れ込んだ今、書かれていないルールだけでは秩序を保てなくなっているのだ。

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